8/3バンクーバー2日目
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*8/3バンクーバー2日目(曇り後晴れ)*

 朝は、窓の外から聞こえる自動車の喧騒音で目を覚ました。ホワイトホース以来ずっと静かな所で過ごしていたので、何だか妙な違和感に駆られてしまい落ち着かなかった。

 朝飯を食べに、宿の一階にあるパブに行った。ここは夜はわいわいにぎやかな飲み屋であるが、朝方は朝食メニューもやっていた。とりあえず、2エッグのオーバーイージーで注文をした。昨日宿のフロントで受け取った2.50ドル分のチケットを見せたら、このチケットはうちでは取り扱ってないといわれ、「何で?」と言い返すと、隣の店で使用可能のチケットだといわれてしまいがっかりした。何だかまぎわらしい所だ。まあ、それでも正規料金は5.60ドル程度なんで懐に思いっきり響くわけではないからどうでもいいんだけど。

 朝食を一通り食い終わってコーヒーを飲みながらくつろいでいると、テーブルを一つはさんだ向こう側のおっさんが2人程座っており、その内の一人が俺の方を指差して「こっちへ来い!」と手招きをしてきた。「何だろう?」ととりあえず言ってみると、手招きをしたおっさんが、
「まあ、すわんなさい。」と言ってきた。そのテーブルにはコロンビア系のゲームにでてくるマリオに似たおっさんと、大半が白髪の手招きをしたおっさんがいた。白髪のおっさんは朝っぱらから、ビールを飲んでおりほろ酔い気分で妙にテンションが高かった。
「どこから来たのかい?うっひゃひゃひゃ。」と口元からつばを撒き散らしながら白髪のおっさんが話し掛けてくる。俺はつばが自分に当たらないように射程距離外の距離に椅子を放して、
「日本からですよ。」と答えた。
マリオに似たおっさんは終始だまったままで、おっさんの話を聞いてうなづくだけで、白髪のおっさんが一人で「うひゃひゃひゃ。」と話をしまくっていた。このおっさんは、ポーランド出身でロシアにも暮らしたことがあるといっていた。そのため、話の途中からロシア語教室みたいな感じになり、30分位続いた。最初は暇だったから話に付き合っていたけど1時間経ってもずっと同じ調子なので俺も段々疲れてきて、
「そろそろ出かけないといけないので。」と嘘をいって二人と握手をして、その場を離れた。

 部屋に戻り、シャワーを浴びにいった。シャワーは共同で、便所みたいなドアで仕切られていた。

 部屋に戻って、バンクーバーをどう過ごすか?ガイドブックを見ながらいろいろ考えた。バンクーバーは過去1994年に一度訪れたことがある。あの時はジャスパーから夜行バスを乗り継いで午前中に到着し、翌日日本に帰国というスケジュールだったから賞味半日しか滞在することしか出来なかった。その時は、その半日でとりあえず、カナダプレイスという所とスタンレーパークを自転車で観光した位だった。当時の印象はなかなかいい街だから、もっと観光したいという気持ちもあった。そんな訳で今回の旅の工程で最後の10日間位バンクーバーに滞在しのんびりすごそうと考えていたけど、ジャスパー延泊、トフィーノまで足を伸ばしてしまったので、今回は今日いれて3日しか滞在することができない。6日にはもう日本に帰国しなくてはならないのだ。とりあえず3日で何ができるか、ガイドブックを眺めたがこれといっていいアイディアが浮かんで来なかったので、まずは観光案内所へいって情報を集めることにした。今日の予定はまず観光案内所に行くことで決めた。後は街をぶらぶらしながら、考えればよい。街を歩くだけでも結構楽しいことは過去及び、今回の旅でも実証済みだ。

 予定が決まったので、さっさと宿をでて外にでた。観光案内所に行く途中、ガスタウンによってスチーム時計を見に行った。まあ、昨日も見たんだけど、何となくもう一度みたくなってしまったので寄ってみた。15分置きにボーボーと音のなるこの時計の周りは人がわんさかいた。それに伴って、そういった人達を相手にしている絵描きさんなどの商売人も何人かいた。物乞いの人たちも集まっていた。その中に車椅子の物乞いの人もいて、偉くアグレッシブに観光客相手に「50セントくれ、クオーターでもいい」といきまいていた。誰も相手にしてなかったのだが、何かの拍子にふと俺と目が合うと、そのおっさんは、「おっ、タバコ吸ってるのか?俺にも一本恵んでくれ。」と一目散で寄ってきた。俺が英語がわからない振りをして、無視してたら「fuck off!」と捨てゼリフを言われ、その後おっさんはどこかへ行ってしまった。

 スチーム時計の周りは、昨日と同じく相変わらず人の出入りが激しかった。15分置きに鳴るので、皆その時間帯になると「わっ」と集まり、アラームが終わると「さっ」と散っていってしまうという繰り返しであった。とりあえず、俺も3回程、アラームを聞いたらいいかげん飽きてきたので、その場を去ることにした。多分もう聞くことはないだろう。一回聞けばいいといった感じだ。

 ガスタウンのウォーターストリートを西へ向かうとコルドバ通りに合流する。ちょうど、合流地点にハーバーセンターという建物があった。ビルの上にはUFOの様な展望ロビーがある。展望ロビーに行くには有料だというので、即座に諦めて、地下のショッピングモールでちょっとぶらぶらと散策した。特になんの変哲もないモールであった。ついでにフードコートの場所を確認しておくことにした。モールには大抵様々な飲食店が集まったコーナーがある。味は別として割と安く手軽に食事を出来るから利用しない手はない。案の定フードコートはすぐに見つける事ができた。しかし、ぷーんと漂う美味しい匂いに誘われてちょっと早いがここで昼食をとることにした。テリヤキ丼といったエセ日本料理屋もあったので、ここでテリヤキ丼を注文して食べることにした。

 ハーバーセンターを出ると、喫煙が出来る場所があったので、そこで食後の一服を楽しんでると一人の女性が俺の方を見つめ、何かカードを渡してきた。「何だろう?」と思い、そのカードをみると英文でなにやらいろいろと書かれている、裏を見ると手話の説明があった。その女性は察するにどうも口が聞けないハンディキャップを持った人であることがわかった。女性が指で、カードに書いてある英文の一部を指差してきた。カードにはビッチリ英文が書かれているので、どれなのだか検討がつかない。「んん?なんだ?どれどれ?」と俺が迷ってると、その女性は俺の持ってるタバコを指差し、「一本くれ」といったジェスチャーをしてきた。俺が、一本渡すと彼女は、さっき渡したカードも俺の手からピッと奪いとり、足早にそそくさとその場を去っていった。どうもタバコが欲しかったようだ。それにしても何だかそういった態度が許しがたく腹が立ってしまった。いくらハンディキャップがあるとはいえ、手を挙げるなり、ニコリと笑うくらいしてもいいのではないかと思った。


バンクーバーのダウンタウンにある、観光案内所。来客者が多い時は、銀行とかにある整理券のカードを受け取り自分の番号が呼ばれるまで待機しなくてはならない。


 胸糞悪いと思いながら、コルドバストリートを西に向かって歩き、観光案内所に到着した。中に入るとえらく人が沢山いて驚いた。スタッフに何か質問をするには順番待ち状態で、銀行や郵便局などで見られる整理券発行の機械まで置いてある周到であった。とりあえず、俺も、整理券を機械から受け取り順番を待つことにした。特に宿とかを予約するわけではないのだが、ここの案内所にバスの路線図が書かれた地図があると聞いていたのでどうしてもそれが欲しいと思ったからだ。昨日の乗り間違いでちょっと懲りてしまったので、どうしても手に入れておきたかった(結局は使わなかったが...)。受付のカウンターには何人もスタッフがおり、それぞれ番号が表示されるランプも設置され、銀行さながらの雰囲気であった。

 ようやく俺の番が回ってきた。整理券をスタッフに渡し、「市バスの地図が欲しい。」と用件を伝えた。2種類あるらしく、2つのサンプルを見せてくれた。ひとつは手帳のような冊子ともう一つは名詞サイズに折りたたみ式になっており、大きく広げることのできる地図であった。名詞サイズの地図は有料であったが、めんどうくさいので2つもらうことにした。バンクーバー市内を移動するにはバスしかない。どこか出かける時は、このバスに頼るしかないのだ。ついでに、バンクーバーの地図ももらっておいた。用が済み、案内所内の壁際に沢山のパンフレットが置いてあったので、どうせ全部読みはしないとわかりながらも適当にかいつまんでもらっておくことにした。

 観光案内所の階下にはフードコートがあった。スタバがあったので、アイスカフェオレを注文した。日本でもそうだが、どうもここの「ショート」は別として「グランデ」とか「トール」というサイズになれてないから、ミディアムサイズでお願いといったらすんなり通ったのが良かった。

 観光案内所のすぐ近くには「カナダプレイス」という大きな建物がある。1986年のバンクーバー万博のカナダ館をそのまま使った国際会議場らしいが。1994年に一度そこに行ったことがあり、特に面白くもなかった印象があったから、そこには行かなかった。CN IMAXシアターという映画が上映されてるらしい。


バラード入り江。観光案内所からは、すぐに海が見える。対岸はノースバンクーバー地区。

観光案内所からみえた、スタンレーパーク。ん?公園の手前になんか浮いてるぞ。

海上に浮かんでいたのは、船舶用のガソリンスタンドでした。


 目の前はもう海であった。海といっても、この辺は入り組んでる為、対岸にはノースバンクーバー地区の住居が沢山見える。海面にはエッソ等の船用のガソリンスタンドが浮いているのが、なんだか面白くてならなかった。日本ではそんなガソリンスタンドは見たことがない。まさに港湾都市といわれる印象深いものであった。

 とりあえず、暇なんでロブソン通りに出てみることにした。ここの通りは以前にも行ったことがあるが様々な店が並び、活気がある通りだというのを覚えている。以降とした所、外人さんに道を尋ねられてしまった。「俺も昨日きたばかりで、よくわからんのだけど。」と思いながら、話を聞いてみると、駅に行きたいらしい。駅といっても、ここには地下鉄やVIAの大陸横断鉄道などいろいろあるから、困ってしまった。昨日、日本料理やでもらった地図を広げて、どこの駅に行きたいのかと訪ねると。その外人さんは俺の地図が日本語だれけだったのをみてか、それともこいつに聞いてもわかるまいと思ったのか、「ああ、いいよ。どうも。」と言って、その場を去ってしまった。なんだか悲しい気分になってしまった。

 気を取り直して、ロブソン通りを目指すと今度はまた物乞いの人につかまってしまった。ホームレスといった感じではなく、バックパッカーの格好をしておっさんであった。おっさんは、来る人来る人に「2ドル恵んでくれ。」と訴えている。俺のところにも、観光案内所でもらったようなリーフレットを握り締め、「あと少しでここに泊れるんだ。2ドルくれ!」と訴えてくるではないか。その握り締めたリーフレットは俺が泊ってる同じバックパッカーハウスであった。「すいません。英語わかりません。」といいながら俺は逃げ去ることにした。もし仮に、おっさんが宿代分を集め、俺と同じところにきたらいやだなとふと考えた。

 観光案内所からバラード通りをひたすら南下するとロブソン通りに出くわした。しかしまあ、人が多い。わんさかわんさか人があふれんばかりに歩いていた。とりあえず、適当にその通りをぶらぶらと歩くことにした。土産物屋もたくさんある為、多くの観光客もここに集中する。日本人も沢山歩いていた。

 しばらく、ロブソン通りを歩いているとなんだかカナダではめずらしい看板が見えた。グリコのイチゴポッキーの箱を大きくした看板であった。名前は「コンビニ屋」と書いてある。カラオケもやってるみたいだ。中に入ってみると、日本食や日本のお菓子、飲み物、CD、おみやげ、弁当、ビデオまで置いてあった。飲み物のコーナーにいくと、ペットボトルの生茶やカルピスウォーターが置いてあったので、思わず買おうと思い手にとって見た。しかし値段をみると4ドル以上したので、思わず「高ぇ〜」とうなり、そのまま陳列棚にもどした。まあ、日本から輸入してきてるから仕方ないか。店の奥のほうをみると、パソコンが何台も並んでいた。どうもインターネットカフェもやってるみたいだ。張り紙をみると日本語対応もしてるようなので、迷わず受付で申し込みをした。受付は簡単でただ、「インターネットを見たい」といえば、「XX番のPCに行って」といわれるだけ。会計は、受付で自分のPC番号を言えば、その時間分を清算するだけという簡単なものであった。カナダでは公衆電話のように、公衆インターネットの設備は沢山置いてあるが、日本語対応をしてないのでメールは英文で打たなければならない。しかも、ひどいのになると文字化けまでしているのもある。メールの本文は日本語で読めるが、例えばHOT MAILなどのフリーメールでチェックをする時、「送信」「受信」とかの文字が全部文字化けして、どのボタンをクリックしたらいいのかわからない時もある。なので、日本語対応のPCは非常にありがたいのだ。ちなみに、カナダでワーホリをしてる人に聞いたが、日本語対応のPCは韓国人が経営しているネットカフェでも結構みれるそうである。後は、留学センターなどの事務所や大学の図書館にあるPCでも日本語対応のPCが置いてあるそうです。

 早速、メールのチェックやHPのチェックを行い、掲示板に書かれてる内容も見て返信を行った。隣で、いかにもワーホリと言った感じの若い女性が携帯でぺちゃくちゃと会話をしてたのが、うるさくて仕方なかった。
「もしもし、あ〜、わたし〜、うん、うん、へ〜、そ〜、今日花火大会あるよ〜。そうだね、うん、うん、」小声で話してるならまだしも奴はでかい声でしゃべりまくっていた。これ見よがしに「あたしは携帯を持ってるのよ〜」と言った感じだ。うるさくてかなわんので、ちょうどホームページのチェックも終わったから、その場を離れる事にした。

 今日はこれといって、どこに行くのかも決めてないので、そのまま歩いて、ガスタウン方面まで歩きながら帰ることにした。ついでに街の様子を眺めたかったのもあった。

 宿について、部屋に戻った。俺以外の他に荷物もないようなので今日もこの部屋を独り占めに出来るのではと期待をした。ハエは相変わらず昨日と同じように、部屋の中央をブンブンと飛び回っていた。幾分数が少なくなっていたようだ。暇なので、ドアをあけっぱなしにして、ハエを追い払う努力をしたが、10分位であきらめた。ベッドの上でゴロンと横になり、ガイドブックを眺めたが、なんだか眠くなってきて昼寝をしてしまった。

 再び目が覚めると、もう時間は夕方の19時近くになっていた。腹が減ったので、晩飯を食おうと、街中をブラブラとふらついた。気づくとまたロブソン通りまで来てしまった。しかも何だか、人が昼間以上に多くめちゃくちゃな混雑ぶりだ。しかも皆スタンレーパーク方面に一斉に歩いていっている。どうみても、普通の混雑というのではなく、ある意味移動といった方が正しいかもしれない。
「ん?何だこの人の流れは、祭りでもあるのか?そういえば、花火大会があると誰かがいってたな。」そうか、この人の流れは花火大会に向かう人たちか?とそう考えた。どうせ暇だし、宿に戻ってもパブで酒を飲むことしかないから、その人の流れについていくことにした。スタンレーパークに近づくと、店の前で弁当(とはいっても、サンドイッチやスシの詰め合わせ)を露店販売してるのが目立ってきた。よく、日本でもサッカーや野球のスタジアムに近づくと見られる光景だ。そうえば、まだ飯をくってなかったので、ロブソン通りの途中、「SUSHI SPOT」という日本料理屋っぽい店があったので、そこに入った。店の中はうどんをやっており、何となく立ち食いそば風の感じであった。(もちろん座って食べれるのだが)そば以外にも、陳列棚に、寿司も置いてあった。トレーにそれらを乗せ受付のカウンターで清算するシステムのようだ。陳列棚にはこの花火大会の人が沢山来ているせいかほとんど売り切れており、選べる物画なかった。アラスカロールという寿司があったので、それをトレーに乗せ、受付でビーフウドンを注文した。店員はマスター以外はワーホリで来ている日本人がスタッフとして働いていた。もちろん日本語で対応できるのであるが、ここでもあえてヘタクソなインチキ英語で注文をした。スタッフの姉ちゃんは俺が日本人だとわかっているので、日本語で俺の注文を繰り替してきた。それでも、俺はインチキ英語で返答をした。海外で日本食を食べるのも、意外と面白い。味付けが北米風にアレンジされたりしてる部分があるからだ。うどんが出来上がり席について、食べることにした。ちゃんと七味唐辛子も置いてある。うどんの味は日本と変わらなかった。アラスカロールのスシネタはサケの皮がまいてあった。味はまあまあ。あっという間に食べ終わり、店をでた。人の流れは相変わらず続いていて、もの凄かった。宿からは日本から履いていたトレッキングシューズではなく、ジャスパーでかったサンダルで来てたので長時間歩くと足がだんだん痛くなってしまった。あまりにもぶかぶかなのだ。サンダルのテープの部分が皮膚とこすれて痛くてかなわない。しかし、このまままた宿に戻って、ここまでくるには往復一時間以上もかかってしまうから、そのまま人の流れについていき、歩くことにした。途中休憩を兼ねてタバコを吸うと、相変わらず「タバコくれくれ君」達が俺に群がってきたが、いいかげんうざったいので、「すまん、これしかもってないんだ。」と言って断った。当然タバコの箱は見せてない。このセリフをいうと、100%諦めてくれたのがいい。今度からこのセリフを言うことにしよう。ケチくさいようだが、カナダのタバコの値段は日本と比べ3〜4倍もするから、結構金がかさむのだ。

 しばらく歩くと人の流れが直角に曲がった。てっきりスタンレーパークが会場かと思ったけどそうではなかった。ロブソン通りからデンマンストリートに左折をし、まっすぐ歩いた。会場がかなり近いのか、人ごみはさらに増してきた。おまけに車は通行止めとなり、歩行者天国となっている。人が多いところには様々な人もあるまる、大道芸人やストリートミュージシャンもいた。とある一角にビートルズのコピーバンドをやってる人たちがいたので、3〜4曲聞くことにした。なかなか上手い、それに比例するかのように、観客も沢山群がっていた。再び、人の流れに沿って歩きいるとようやく会場が見えてきた。場所はイングリッシュベイに面するイングリッシュベイビーチ。夕日に染まるきれいな海岸だ。会場もまた人ごみがすごく、ものすごく賑わっていた。イベントの垂れ幕がフェンスに貼ってあり、みてみると「HSBC Powersmart Celebration of Light」と書かれていた。3カ国対抗の花火競技大会で、7/31,8/3,8/7に行われるとの事であった。花火といえば日本が本場と思ってたけど、残念ながら日本は出場しておらず、スペインとカナダ、後もう一つは忘れてしまった。今日は地元カナダの花火師のお披露目のようだ。

 しかし、どこも人ごみだらけで、花火をゆっくりみれるスペースが見当たらない。座れるなんて夢のまた夢の状態である。立ち見覚悟でも場所がなかなか見当たらない。うろちょろと歩いていたら、トイレが長蛇の列であるのが見えた。
「うひゃ〜、こりゃもようしてきてトイレに行っても時間がかかりそうだから、今のうちに済ませておこう。」

 人だかりの中に更なる人だかりがあったので、野次馬根性で除いてみたら、若者5〜6人がダンスのパフォーマンスを見せていた。一昔前にはやったブレイクダンスにアクロバティックな要素を組み込んだものであった。その内観客からも飛び入りで参加するものが出てきた。飛び入りの方が見事なパフォーマンスを披露すると周りから拍手喝采を浴び、はじめから演じていた彼らも負けずとむきになって、彼らと飛び入り観客の一騎打ちみたいな感じになってきた。見てるほうはなかなか面白い。飛び入りの方も昔やっていたのかかなりのレベルが高い。パフォーマンスをやってる彼らは長い時間踊り続けている為か体力を消耗しちょっとへろへろ状態でかわいそうだった。30分くらいそんなやりとりを見物し、再び、場所探しに歩き周った。適当なスペースを見つけたのでそこに陣取った。

 しかし、いつなったら花火が始るのかさっぱりわかならい。20時はとっくにすぎているが、空はまだまだ明るいので花火を挙げるには全く適してない。20:30頃一発の花火があがった。観客もどよめく。
「おっ、いよいよ開始か?」
と思っても、あがったのはその一発だけであった。その後場内にアナウンスが入った。
「レディース アンド ジェントルマン、ボーイズンガールズ、HSBCパワースマートセレブレィションへようこそ、司会はFMクラシックロック イン バンクーバーのXXXXXです。さあ、開始まで後1時間です。もうしばらくお待ちください。」
「何?後一時間もあるの。」
バンクーバーは昼間は暑いけど、夕方から段々肌寒くなってきた。しかも、俺の服装はただ、晩飯を食うために街にでてきたので、Tシャツ一枚とハーフパンツ姿だ。おまけに足はサンダル。場所が海岸だけにあって、余計に寒く感じてきた。タバコも全部吸い尽くしてしまったので暇で仕方がない。幸い、待ち時間の間場内にずっと音楽が流れていたので、それを聞きながら時間を潰すことにした。

 時間が迫るにつれ人ごみもいちだんと増してきた。そばに、シアトルからやってきたというベトナム系の若者のグループがわいわいがやがやと騒ぎまくっていた。彼らは風船を凧を飛ばすかのように高々と揚げていて、それを目印として、携帯電話ではぐれた仲間を呼びかけていた。なかなかのアイディアだ。こんな人ごみでは建物の目印ではちょっとやそっとでは見つけるのが難しい。興味を引いたのが彼らがもってる形態電話。形がえらく小さい。日本でも折りたたみ式の形態があるが、その折りたたんだ状態の大きさなのだ。図体のでかい北米の人にはボタンを押す時使いづらいのではないかと余計なお世話的な発想をしてしまった。その内、大きな叫び声が聞こえた。なんだろうと思ってみてみると、風船を持った若者が何かの拍子で手を離してしまい、風船は無常にもバンクーバーの空を風にのりながらふわふわとどこかに飛んでいってしまった。彼らの待ち合わせの目印はこれでなくなり、再び携帯電話でこと細かく説明をしながら、仲間達を呼びかけはじめた。周りの人も苦笑を堪えていた。

 21時に再び花火があがった。30分前のお知らせだ。司会のアナウンスも再びはいった。
「さあ、みなさん後30分ですよ。今日はカナダの花火師によるお披露目です。絶対勝つぞ!カナダがNO.1だ!」
この言葉を聞いて、まわりは「うぉー」とどよめきたった。

 気づくと、周りはだんだん身動きがとれない位混んできた。前の方で若者がビールを飲み始めた。カナダではパブリックスペースでのアルコールの飲酒は禁止されており、決められた場所でしか飲めない。彼らは一応茶色の紙袋に隠して飲んでいるが、傍からみてると一発でビールを飲んでるのがわかる。そしてタイミング良く巡回中の警察がやってきて、彼らは一発で見つかり職務質問を受けていた。周囲の人も最初は見て見ぬふりをしていたが、警察が来たことにより、
「逮捕だ!逮捕だ!」と冷やかしで罵声が飛んできた。結局は、ビールをその場に全部捨てるということで逮捕はされなかった。酔っ払ってふてくされたのかビールを飲んでる奴らの一人が、ビンを地面にたたきつける事もあった。しかし、警察から厳しく注意され、その人は一生懸命割れたビンを片付けるハメになった。

 花火開催を待ってる間、俺の周りではこういった光景があり、十分に退屈なく時間を過ごすことができた。もうすぐ21:30だ。いよいよ花火大会の開始だ。空も大分暗くなってきた。花火はどうやら、沖に浮かんでる、タンカーのような船から打ち上げるらしい。観客はビーチだけでなく、プレジャーボートやヨットから見物する人も多いため、会場にも沢山の船が浮かんでいた。結構打ち上げる船に近すぎているボートが多く、海上警備隊の船から安全圏まで退去命令がでていた。

 21:30になると、会場を照らしていたライトが落とされた。いよいよ開始だ。司会のアナウンスが入ると音楽がなった。どうも、まわりの観客の様子をみてると国歌演奏らしい、カナダの国旗をマントのように抱えたり振り回してる人たちが沢山いた。

 国歌が終わると、花火が連続的に打ち上げられた。当たり前のようだが、日本で見かける花火と同じであった。しかし、観客は日本とは違っていた。日本だと、みんなおとなしく鑑賞してるものだが、カナダの人たちはまるで、スポーツ観戦かコンサートでも見てるような感じだ。一発あがるたびに「イェーイ」「ブラボー」「イーハー」と雄たけびが上がる。なかなか盛り上がって面白い。

 花火の打ち上げ最中はずっと音楽がかかっていた。なんとなくフィギアスケートといった感じであろうか。音楽のリズムにあわせた花火のアトラクションも多い。そのなかでとりわけ興味深かったのが、くらげのような舞を見せる花火だ。どういうしかけだかわからんが、一度ふわっと浮き上がると沈み、そして再び浮上をするといった仕掛けだ。こんな仕掛けは日本でも見たことがなかったのでとりわけ印象的であった。

 クライマックになると、今までの技術の総決算といった感じでものすごい花火の数があがった。同時に観客の興奮も絶好調に達し、みんな両腕を空高く突き上げ、雄たけびを発した。俺も一緒になってやってしまった。「うぉー。ブラボー。ワンダフル。イェーイ!」

 花火の賞味時間が意外と短かった一時間もしなかっただろう。とりあえず、今日の大会が終わると人々は一斉に民族大移動をはじめた。デンマン通りにでると、あまりの人の多さのため、流れがない。交通渋滞だ。前も後ろもつまり身動きできない状態となっていた。まるで初詣にいって、ロープ規制をされてる様子だった。デンマン通りは諦め、横にある路地を通って宿へ帰ることにした。わけのわからん、住宅街みたいな路地を通り、無事ロブソン通りに出ることができた。こちらも歩行者天国となり車は通行止めになっていた。流れは十分あるが、それでもすごい人の数だ。前の方を歩いていた女性が携帯電話で、
「今ロブソン通りだけど、すごい人の数よ。」と叫んでいた。
ロブソン通りを東へ向かっていくと、人もだんだんばらけてくるので人通りも少なくなってきた。ロブソン通りからヘイスティン通りに向きを変えて、イングリッシュベイビーチから一時間位歩いてようやく宿に到着をした。

 部屋に戻ると、男女の宿泊者がいた。女性は西洋人、男は東洋人であるが、腕から思いっきり刺青をしていた。二人は窓際のテーブルでチェスをしていた。俺が「ハイ」と挨拶をすると、女性の方は返してくれたが、男性の方はしかとをしやがった。ちっ、感じの悪い奴だ。感じの悪い奴がいると気分的に息が詰まりそうになるので、下のパブでビールでも飲みに行くことにした。その前にタバコが切れていたので、どこかその辺にタバコを売ってる店がないか探すことにした。酒をのむとタバコを吸いたくなってくるので、どうしても必要だった。時間は23時を過ぎていたためか、どこも空いてなく諦めて宿に戻ろうとした。途中の角であやしい若者に
「マリファナ欲しくないか?」と
声を掛けられてしまった。
「(マッ、マリファナ〜?)」と内心叫んでしまい驚いてしまった。しかし、冗談なのか本気なのか知らんが、マリファナの売買がこんな街角で平然と行われているなんて、ずいぶんと物騒なところだ。俺は、
「いらん、いらん。」
といいながら、その場を足早に去った。あまり夜の街をふらつくのは危なそうだ。

 パブでいつものように一人さみしくビールを飲んだ。店内は相変わらずにぎやかで、俺は暇だからビリヤードをやってる連中のプレイをみながらビールを飲んだ。花火を見に往復2時間近く歩いたので、疲れていたのかビールを飲んだら心地よく酔えたので、そのまま部屋に戻って、寝ることにした。同部屋の連中はまだチェスを続けてた。

 今日は思わぬ展開で、花火大会が見れてなかなか充実した日であった。明日はグランビルアイランドへいってみよう。

(つづく...)

 

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