8/2トフィーノ〜バンクーバー
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*8/2トフィーノ〜バンクーバー*

 昨晩は、夕方に寝てしまっため夜中を過ぎても中々寝付けなかった。そのため、朝もえらく早起きをしてしまい、時間を潰すのが大変であった。

 まずは、朝の一服を楽しむ為に宿の庭先にでた。今日も天気がよさそうだ。天気のいい朝を迎えると今日一日なんだか楽しい気分にさせてくれるのがいい。これが雨だと、とたんに憂鬱になってしまうのだ。宿の土地の前の道路脇でぼーっとタバコを吸ってると、一人のバックパッカーが町の中心部から歩いてきたのがみえた。なんとなく目があい、お互いに「おはよう」と声をかけた。彼は俺がタバコを吸ってるのをみて、即座に「タバコを一本くれないか。」といってきたので素直にくれてやった。これからヒッチハイクをしに町外れまで歩いていくそうだ。

 タバコを吸い終え、そーっと音を立てずに再び自分の部屋に戻ってベッドで二度寝をする事にした。

 8:30になり、一階のキッチンヘ朝食を食べに降りていった。テーブルには既に他の宿泊客である、2組の家族連れが座っていたので、
「おはようございます。」
とみんなに挨拶をしながら席についた。昨日のメンバーとは違い初顔合わせであった。一組はカルガリーからやって来た人たちであった。

 朝食のメニューはオレンジジュース、コーヒー、トースト、果物にヨーグルトをかけたやつ、と宿のばあさんお手製のミートパイであった。このミートパイがすこぶる美味くて最高であった。オムレツのようなタマゴの生地に挽肉、タマネギ、トマトがはさんでありしかもオーブンで焼いたばかりだからあつあつのほくほくで美味かった。なにせ、昨日の晩飯は寝過ごして食ってないので、ハラペコ状態だったから美味さの実感はなおさらであった。美味い美味いとあっという間に平らげるとばあさんが、おかわりを持ってきたので遠慮せず頂くことにした。腹が満腹状態になり、食後のコーヒーを楽しみながら、他の宿泊客と会話も楽しんだ。まあ、楽しんだといっても、俺の英語力ではあまり理解力がないので、適当に相槌を打ってる程度であったが、時々ふいに俺の方に話が向けられるとドキっとしてしまった。カルガリーから来た家族連れには小学生位の息子さんがいて、彼が学校で「日本」を勉強してると教えてくれた。「日本」と行っても、歴史なのか地理なのか語学なのかそこまで聞けなかったが、そんな科目がカナダでやってるのかと初めて知った。彼は俺が日本からやってきたと聞くと即座に質問をしてきた。
「どの島に住んでるの?」
「(はあ?島?)」こんな質問をされたのは初めてであった。確かに日本は島国だ。北海道、本州、四国、九州、その他沖縄、八丈島、佐渡島などなど、大小様々な島で形成されている国である。今までの外人だと俺が日本から来たというと、大抵は
「オー、コニチワ。」
「ドーモー。」といった挨拶や
「トーキョー?」
「コウベ?」
「サポーロ?」といった地名を挙げてくるのであったのだが、さすがにどの島というのは意表を突かれた幹事がして一瞬返答に困ってしまった。とりあえず苦し紛れに、
「本州だよ。」と答えたら、理解してくれたみたいであった。一体どんな授業内容なのか問い詰めてみたい気が今でもしたくてならない。宿のばあさんが、テーブルに分厚いノートを持ってきた。中身は今までの宿泊者の住所とコメントが書いてある内容であった。皆にも同じように書いてくれと言ってきたので、日本語と英語を混ぜてコメントをノートに書き込んだ。以前書き込んだ人の内容をペラペラとみたが、日本人は全く見当たらなかった。なんだかんだ、しゃべっていたら、時間は9:00を回っていた事に気づいた。今日はここを発たなくてはいけないのだ。ナナイモ行きのバスは10:05。少なくとも9:30には宿を出たいと考えた。家族連れの客はまだ朝食を時間たっぷりかけて楽しんでるようだったので、
「すいません、10時のバスに乗らなければならないので、失礼します。」
と一言断ってテーブルを後にした。 すると、テーブルに座っていた2組の数がまるで示し合わせたように皆一斉に
「バイバーイ。」と言ってくれた。

 部屋に戻り、急いで身支度をして30分位してから再び一階に糞重いザックを背負いながら、よたよたと降りていった、他の客はあまりの重装備の荷物をみてみんなびびっていた。彼らも昨日の客と同じように、ゆっくりと時間をかけて朝食を楽しんでるらしく、まだコーヒーを飲みながら談話に花が咲いていた。

 キッチンに玄関前に行くと、宿のばあさんがやってきたので、2泊お世話になった礼を言ったら握手を求めれた。
「また、カナダを訪れる機会があったら必ずここに来ます。」といったら、
「グレイト!」と言われた。帰り際に、宿のカードをもらっておいた。玄関のドアを開け、他の宿泊客にもう一度、別れの挨拶をすると先程と同じように一斉に
「バイバーイ。」と言われた。


今回トフィーノでお世話になった、B&B「Penny's Place」

その看板。


 今回は初めてB&Bという宿に泊まったが、なかなか居心地のいい宿であった。金に余裕があれば、もっと連泊をしたかったが...手作りの料理も美味かったけど、なんといっても家庭的な雰囲気がよかった。また機会があれば、是非利用したい宿である。

 バス停に付くと、既にナナイモに行くバスが停車しており、他の客も何人か集まっていた。とりあえず、荷物をバスのトランクの前に置いて、ドライバーに帰路のチケットを提示した。ドライバーは俺をみると、
「どこから、来たのかい?」と言ってきたので、
「日本から。」というと、
「うちの、息子も日本の大学に通ってるんだよ。」と言ってきた。話をいろいろ聞いてみると和歌山県の大学に通っているらしい。出発の時間が来るまで、外でタバコを吸いながら時間を潰した。バスにのったらもうタバコが吸えないのだ。

 定刻通りにバスは発車した。車内の混み具合は50%位と言った感じでそれほど混んではいなかった。2人分の席を贅沢に独り占めして車窓の景色をぼんやりと見ながらくつろいだ。しばらくすると、便意をもよおしてきた。でっかい便の方だ。しばらく大休憩のある、ボートアルバーニまで我慢するつもりであったが段々腹の痛みが増してきたので、車内にあるトイレを使うことにした。トイレは車内の一番後部座席の一角にある。中に入ると小便だかなんだかわからん液体があちこちにちらばっていたので、
「うげっ!きたねーな。」と思いながらトイレットペーパーで周辺をきれいにし、日本から持ってきた便座除菌クリーナーで丹念にふき取った。そんな状況をみてしまったので、ついでにトイレットペーパを便座にかぶせてその上に座ることにした。用を足してるとバスはアップダウンの激しい道を走ってる為とても揺れてひっくり返りそうになってしまった。上下左右大きく揺れるので、その都度便器の下にあるタンクに入ってる汚物が、
「ちゃっぽん、ちゃっぽん。」と音を立てながら、時折その汚物の液体が俺の尻に
「ピチッ、ピチッ。」と引っかかるのが無性に嫌でしかたなかった。
「うわっ!揺れるんじゃない。」と思っても、不可抗力でバスがいう事を聞いてくれるわけでもなく。まあ、一応消毒剤で中和されてるのではあるが、それでもその液体が自分の体にくっつくのは気持ちが悪くてしかたがない。さっさと用を済ませ、自分のケツも便座除菌クリーナーで拭いておく事にした。おそらく、トイレに入ったときの汚れはバスの揺れでタンクからあふれた液体が巻き散らかされたのであろうと確信をした。

 昼過ぎに、バスはポートアルバーニに到着をシ20分の休憩に入った。腹が減ったので、少しバス停から離れたところに「SUBWAY」があったからそこに行きサンドイッチを注文することにした。店の中には6〜7人の客が既に並んでいたが、そんなに時間がかからないだろうと甘い気持ちで待っていたら、なかなか自分の番がまわってこなくて焦りまくってしまった。
「あ〜、早くしてくれ〜。バスがバスが。」とそわそわしながら待っていたらようやく自分の番がやってきた。あまりのそわそわぶりに店員は、
「あなた、バスの利用者?」
「そうそう、後5分くらいしかないのでいそいでね。オーダーは、フットロングサイズでステーキサンド、トッピングはこれ、これ、これ、これで。」と予め待っている間に考えてたメニューを指差して注文をした。会計を済ませると、一目散にバスまでダッシュをした。なんとかギリギリセーフで乗り込むと、バスはポートアルバーニから乗ってきた客が大勢いた成果ほぼ満席状態となり、一瞬自分が座ってた席が分からなくなってしまった。予め帽子をシートに置いていたので、それを見つけて、
「すいませーん。」といいながら席についた。ほっとしたところで、先程かったサンドイッチをほおばると通路をはさんだ隣の女性が、
「あら、あなたサブウェイで買えたの?いいわね。私は諦めたわ(笑)。」といいながら話し掛けて来た。
「いやいや、時間がなくて。店から走ってきましたよ。」
息を切らせながら、サンドイッチを一気に平らげた。それから、約1時間半後バスは無事ナナイモに到着をした。レイドロウのバスからグレハンのバスに乗り換えた。待ち時間30分のなかなかグッドタイミングンな接続時間だ。

 バスはすぐさま、フェリーに乗り込み約2時間の船旅となる。フェリーの駐車場に入ると、ドライバーが何時まで戻ってこいと乗客に継げた後すぐさま車内から降ろされた。船内のコーヒーショップでカップのカフェオレを購入しデッキにでた。来た時と一緒で相変わらず風がつよい。これといって見るものもないので、船内をうろちょろした後、開いてる座席があったので、そこに座り時間までうとうとと昼寝をする事にした。何もする事がないときはやっぱり寝るのに限る。

 17:00頃に、バンクーバーのバスディーポに到着をした。バスから降りて自分の荷物を出されるのをまった。結構、荷物は乱暴に扱われるので自分の荷物が見えたら自分で取りに行くのがお薦めだ。

 重い荷物をよいしょと背負ってディーポ内を歩いた。ここは、VIAの鉄道の駅も併設されているので人が沢山いて賑わっていた。のんびりとしたトフィーノとは偉い違いだ。ホワイトース、ジャスパー、カナディアンロッキー、トフィーノとのんびりした町に、3週間近くもいたから無理もない。
「さて、宿はどうしようか?」
相変わらず行きあたりばったり的に行動しているので、宿も決めてなかった。まあ、こういった行動は今に始まったわけではないんだけど。駅構内にたくさんの宿のパネルのある看板があった。ホテル、モーテル、ホステル、なんでもござれだ。フリーの電話もついており、パネルの番号を押せばそこからダイレクトにその宿に通じる仕組みとなっている。バンクーバーだけでなくトロントの宿まで掲載されていた。

 糞重いザックを駅構内のベンチの脇にほったらかしにしておいて、その看板をじっくり見ることにした。こんな糞重い荷物を持っていく人はいないだろう。貴重品はしっかり肌身離さず抑えてある。しかし、看板を見に行っても、日本人の若い女性2名が占領しており、なかなか思うように宿を探すことができない。普通に見てる分では構わないのだが、電話の受話器を握り締め、「あっ、ここなんかどう?」「ここもいいわね。」とずっとこんな調子なのだ。しかも20分近くこんな調子だからたまったものではない。俺はパネルをずらーと眺めながら、どの宿にするか5分くらいで決めてしまった。後はその宿に電話をするだけなのだ。しかし、この女性達が受話器を話さない限り俺は電話をかけることができないのである。「ちょっといいですか?」と一言かければそれでいいのだが、彼女達は電話をかけたり、切ったりしてるので中々タイミングがつかめない。
「あ〜ここに電話をしよう。やだ〜、つながんな〜い。次はどれにしよう?」
こんなやり取りをみてると、段々ブチ切れそうになってきたが、ベンチに戻って彼女達が去るのを待ち続けた。

 やっと、むかつく女達がいなくなり、電話をかけることができた。バンクーバーで泊る宿は「THE CAMBEE INTERNATIONAL HOSTEL」に決めた。ここは、ナナイモでもお世話になったし、ロケーションがギャスタウンのすぐそばなのも決めた理由であった。電話をかけるとすぐにつながり、
「はい、キャンビーホステルです。」
「すいまんせん、今晩泊りたいんですけど、ベッドはありますでしょうか?」
「大丈夫ですよ。何名ですか?」
「一人です。2泊したいんですけど。」
「大丈夫ですよ。」
「あと、今グレイハウンドのバスディーポにいるんでうすが、そこまでの行きかたを教えてください。」というと、
「ディーポをでると、メインストリートにでるからそこでバスに乗って(ここまでは理解できた。)#8のフレイザー行きXXXXXX。(それ以降は理解不能となった。)」
完全に理解をしないまま、受話器を切った。勝手な解釈でどうもメンストリートからフレイザー行きのバスに乗ればいいんだなと判断した。ディーポの外に出て、一服をした。目の前の通りにはバスが走っており、#8のフレイザーの行き先の書かれたバスがしょっちゅう走ってるのが見えたので余計に安心してしまった。
「よしよし、あれのバスに乗ればいいんだな。」と思ってると、例のたばこクレクレ君につかまってしまった。「うざってーな。」と怒った顔をしながら、一本恵んでやると「ドウモアリガトウ」と日本語で返された。

 メインストリートまで行き、早速そのフレイザー行きのバスに乗り込んだ。座席に腰掛け、しばらく車窓の景色をずっと見ていたのであるが、いつまでたってもダウンタウンの景色が見えてこないことに気がついた。なんだか、住宅街ばかりである。30分過ぎてもその景色は変わらなかった。どうも乗るバスを間違えたことに気づき始めた。

 そういえば、以前ロスに行った時、同じような経験をしたことがある。確かリトルトーキョーから、自分の泊ってるホテルへ市バスで戻ろうとしたら、何だか偉くガラの悪そうな所に入り込み、あわてふためいたことがあった。ロスの街は1ブロック隔てただけで、雰囲気がガラっと変わるところが多い。しかも俺の乗ったバスはひたすらガラの悪さが変わらなくて、しばらくたってようやく比較的ガラの良さそうな(それでもガラの悪さは変わらない)ところで引き返したことがあった。

「おかしいな?ディーポからダウンタウンまでそんなに時間はかからないのにな。」と思いながら、地図と今走ってるストリートの名前を探しながらを繰り返していると、太った黒人のドライバーがちょうど信号待ちをしてる時に、
「おい、あんたどこに行きたいんだ?」と話し掛けて来た。俺はすかさざず、泊る宿のリーフレットをそのドライバーに見せながら、
「ここに行きたいんですけど。」と告げた。そのリーフレットにはもちろん宿の住所も印刷されていた。ドライバーはそのリーフレットに書かれている住所をみると、
「おいおい、全然逆の方向だぞ。次の交差点で、一旦降りて、対面の停留所から#XXのバスに乗り換えなさい。」と教えてくれた。
「何?逆方向?どうりでダウンタウンに行かないわけだ。とほほ...」と思いながら、そのドライバーに言われた通りに、一旦バスから降りた。ドライバーは親切にももう一度、その停留所の方を指をさして教えてくれた。最初は、ずいぶん無愛想なドライバーだと思ったけど、こうしてみるととても親切な方でとても助かった。俺はそのドライバーにお礼をいいながら、再度ダウンタウンへ戻るバス停留所へ向かった。周辺はハングル文字が所々見えたのでどうもコリアンタウンらしき場所であることがうかがえた。ガイドブックに載ってる地図を見ながら、今自分がいる場所がどの辺なのか確認してみたく、そばにいる人に質問したら「わからん」と冷たく言われてしまった。後で確認したら、その地図からも外れている場所であることがわかった。いつもグレハンなどでバスに乗るときは必ずドライバーに「XXへ行くバスですか?」と質問をしてたのに、今回は何故かそれをするのを忘れてしまった結果こうなってしまったことを反省した。見知らぬ土地での乗り物に乗るときは必ず心がけていたことだったのに...。

 ダウンタウンに行くバスがやってきた。今度は今回の反省を生かし、乗車する際にドライバーに宿のリーフレットを見せて確認をとった。宿の目の前には行かないが近くを通るというので、その近くに来たら教えてくださいとお願いした。ドライバーも快く了解してくれ、運転席のすぐ近くに座れと指示をしてくれた。たかだか1.50ドルの料金なのにずいぶんと親切なドライバーが多いことに何だか感動してしまった。その他に結構いい意味でのいいかげんさがあるのも伺えた。ダウンタウンへ戻る途中、外人の観光客らしき中年の夫婦が、ガスタウンへ行きたいんだけどとドライバーに質問をし、ドライバーは直接は行かないけど近くを通るよといい、その客がバスの料金を払おうとすると、めんどうくさがってなのかわからんが、「ええい、そのまま乗っていいよ。」とただで乗せてしまったのを目の当たりにしてしまった。俺もこの恩恵にあずかったことが昔あった。バンクーバーを走ってる市バスは料金を払うと90分間は何度も乗り降り自由のシステムをとっている。乗車する際に、時間のかかれたレシートみたいな紙を受け取る。あとは乗車する時その紙をバスのドライバーに提示し90分以内であればそのまま乗ることが可能である。その当時、有効時間内に15分程切っていたのだが、紙を見せたらドライバーはう〜んとうなりながら、いいや乗っちゃっていいよと乗せてくれたことがあった。まあ、たまたまこのときは運がよかったのだけだと思うけど、全ドライバーがそうであるかはわかりません。

 宿の近くに来た時ドライバーが俺に声をかけてきた。
「ヘイ!ユー!ここで降りて、あそこの交差点を右に曲がって1ブロック行けばそこにいけるよ。宿は右側にあるからね。」と教えてくれた。俺はそのドライバイーが言ったことをもう一度確認しお礼を言ってバスを降りた。

 宿はドライバーが行ったとおりの場所にあった。フロントに行き、
「すいません。今日ベッドあります?」というとフロントの姉ちゃんが
「大丈夫よ。予約してる?」と言ってきたので、
「グレハンのディーポで電話して来たんですけど。」
「OK!何泊したいの?」
「2泊です。トラベラーズチェックは使えます?」
「問題ないわ。じゃあ、まずパスポートも出して。あと、あなた寝袋もってるわね。うちは寝袋は部屋に持ち込めないの、こちらで預かるから出して頂戴。」と言ってきた。何?寝袋?何でまた?と思いながらとりあえず素直に提出した。後でわかったのだが、結構バックパッカーの寝袋に虫が入り込んでる事があるらしくそれを防ぐ為の事であるがわかった。(部屋かフロアーのドアにそう張り紙がしてあった。)こちらの宿もナナイモと同じく2.50ドル分の朝食券が付いていた。カギは3つもあり(フロントから入るカギ、部屋のあるフロアーのカギ、部屋のカギ)驚いた。とりあえずチェックインの手続きを済ませてシーツと枕カバーを受け取って部屋にいった。寝袋については番号の書かれたチケットを受け取りこれをチェックアウト時に提出すれば返却すると教えてくれた。案の定、フロントの床には他の客の寝袋が沢山転がっていた。

 部屋は2段ベッドが二つあり、結構広かった。しかも洗面所もついており、なんと言ってもベッドの幅があった。大人二人が余裕で寝れる大きさだ。ホテルでの大きさなら納得できるが、ホステル系では中々見られない大きさだ。他の客は誰もおらず、今のところ俺一人の専用部屋となっていた。ただ気になる所があり、窓を開けっ放しにしてたのか、ハエが3〜4匹部屋の中にいて、ちょうど部屋の中央付近で小さな円を互いに描きながら飛び回っていたのがとても気になってしまった。こんなのが夜寝てるときに自分の体にくっつかれるのも何だか気持ちが悪いので、バッグの中から観光案内所でもらったパンフレットをブンブン振りながら追い払ったのだがなかなか部屋の外に追い出すことが出来なかった。一瞬はあちこちににげまわるのであったが、すぐにまた部屋の中央に集まりずっと同じ範囲を飛び回っていた。30分位ハエと格闘していたが、ちっとも埒があかないのでその内面倒くさくなって追い払うのをやめてしまった。

 荷物を置き、ひと段落すると腹が減ってきたので、晩飯を食いに外に出ることにした。宿から2ブロックも歩くと観光名所である「ギャスタウン」があるのでそこに行って見た。なにやらガイドブックには「バンクーバー発祥の地」と書かれていた。


ガスタウンのシンボル、スチームクロック。15分毎に蒸気で音がなる仕組みになっている。


街並みは19世紀の街並みを再現した石畳が敷き詰められており、蒸気時計が置かれていた。この時計は15分置きに水蒸気の笛で小学校のチャイム(キーンコーンカーンコーン...)の音色を思いっきり外した感じでなるのが間抜けな感じで面白かった。笛がなる時間帯になると、周りから人が集まりだし、鳴り終ると「なんだ、これだけか。」と期待してたよりたいしたことがなかったといった表情で、一気に散り始める。しばらくみてたら15分サイクルでこういった光景が見れた。俺も2回程、その笛の音を聞きいいかげん飽きてきたので、何を食うのか、ギャスタウンの道沿いを端から端まで歩いて考えながら決めることにした。結局はガイドブックに載ってた、蒸気時計の近くにある日本料理屋に決めた。ナナイモでも日本料理食ったけど、別にいいや。店の中に入ると、結構すいていた。いかにもワーホリで働いてる日本人のウエイトレスに案内され、席についた。日本語が通じるとわかりながらもあえてぎこちない英語でオーダーをした。定食とそばそれにビールを頼んだ。値段は手ごろで味もなかなかよかった。やっぱり日本食は食べなれてるせいか、安心ができる。料理がでてくるまで、ビールを飲みながら店内を見回した。俺のテーブルのすぐ近くに日本人の客が一人居て、その人はそばを食べていた。日本だと「ずるずるっ」と音を立てても全然問題ないのだが、その人も日本と同じような感覚で音を一瞬立てたが、すぐさまここはカナダと気づいたのだろうか「はっ、いけない。」とあわてて口を抑えてその後、音を立てずに苦労しながらそばをすすっていた姿がなんだか面白くて仕方なかった。笑ってはいけないんだけどね。でも箸でヌードル系を音を立てずに食べるというは結構難しい。パスタのように、フォークとスプーンだとそんなに苦労はしないのだが。なので、俺もこの旅で自炊でラーメンを食べる時は箸ではなく、フォークとスプーンを使って食べていた。そういえば、学生の頃、学食でとある外人の先生が、音を立てずにそばを食べていたのを見たことがある。その先生は箸にそばをつまむと口の奥の方へ持っていき、見事に音を立てずに完食をしていた。その時の記憶があったので、今回はその先生がやってたのを見習って食べることにした。それにしてもやっぱり慣れない食べ方なので、俺も苦労してしまった。会計を済ませて店を出ようとしたとき、その店に日本語で書かれた、バンクーバーの地図が置いてあったので、一枚もらっておくことにした。この地図はその後のバンクーバーを観光する際かなり役に立った。

 店をでると、もう一度ギャスタウンの街並みを歩き周った。どこかに、ライブの聴ける店があるか探してみたが、なかったので宿に戻ることにした。宿の一階はパブになっていたので、ここでまたビールを頼んだ。パブは人が沢山いて、ガンガン音楽が鳴り響き、ビリヤードの台が2〜3台置いてあって、みんな楽しそうな感じであった。こういった、楽しそうな雰囲気で一人隅っこで寂しくビールをすするのもなんだかむなしい感じがし、ビール一本だけ飲み干し部屋に戻ることにした。

 部屋にはいまだ誰もおらず、結局俺専用のプライベートルーム化をして何だか得をした気分になってしまった。ハエは相変わらず部屋の中央を飛び回っていたが、それ以上は行動範囲を広げる気配もないので、ベッドに横になり、そのまま寝てしまった。明日はまず観光案内所へ行って情報を集めよう。

(つづく...)

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