7/31ナナイモ〜トフィーノ

*7/31ナナイモ〜トフィーノ(晴れ)*

 今日は6:00過ぎくらいに目が覚めた。窓の外を見ると昨夜の雨はすっかりと止み、青い空がみえた。トフィーノ行きのバスは8:30発なので、30分前にはバスターミナルへ着きたかった。そのためには、ここを7:30には出なくてはならない。他の人達はまだぐっすりと寝ているので、物音を立てないように気を使いながら身支度をすませた。シーツ等のリネン類は部屋の外にあるかごに、放り込んだ。最後にもう一度忘れ物がないか、ベッド周りと部屋周辺を見渡した。ここのベッドはしごを上り下りするたびにギシギシと音を立てるから周りの人を起こしてしまわないかと非常に神経を使う。荷物を部屋の真ん中のスペースに移動して荷造りをし静かに背負って、音を立てないように部屋のドアをあけて静かに閉めた。1階に下りる階段は古い板張りの為、降りる都度ミシミシと音をたてまくった。


ナナイモで泊った、「キャンビー・インターナショナル・ホステル。」ドミトリーで一泊22.5ドル(朝食2.5ドル分付き)一階の右側がパブで左側がデリとカフェテリアが併設されている。バンクーバーのダウンタンにも2軒ある。朝食をとろうと、カフェテリアに行ったがまだ開いてなかったので、その時に撮りました。


 1階のカフェでチェックアウトを済ませようとしたら、まだ開いてないらしくカギが閉まってた。時計を見るとまだ7時前だったので、しばらく外に出てタバコをすいながら時間を潰した。しかし7時を過ぎてもそのカフェは一向に開く気配がなかった。俺の他にもその店で朝食を取ろうと待ってる人達も何人かいた。7時を15分位過ぎてようやく店が開き、俺は中に入った。とりあえず、先にチェックアウトを済ませキーデポジット代を受け取って、ついでにここで朝食を済ませることにした。2エッグ、ソーセージとコーヒーをオーダーした。タマゴの焼き加減はもちろん両面焼きだ。食事が運ばれてくると相変わらずボリュームのある量であった。時間があまりないので少々急ぎながら朝食を食い終わらせた。昨日チェックインの時に受け取ったカードを提示するとオーダー代金から2.50ドル割り引かれた。

 宿からバスターミナルまで、約30分の距離だ。糞重い荷物を背負っての30分は結構重労働である。ナナイモの朝のダウンタウンはまだ店が閉まっているのでひっそりと静かであった。途中、ガソリンスタンドが開いていたのでそこでタバコ2箱とミネラルウォーターを購入した。ここでも日本でも売ってるキャメルライトがあったので嬉しかった。カナダ産のくそまずいタバコはもう吸いたくない。

 バスターミナルに着くと、俺と同じようなバックパッカーが沢山いた。その中に昨日俺にホステルの情報を教えてくれたおっさんもいて、大きな声で俺に朝の挨拶を叫んできた。俺も昨日の礼を言って、とりあえずバスのチケットカウンターのある建物に入った。ここからトフィーノに行くバスは「LAID LAW」というグレイハウンドとは違ったバス会社が運行をしていた。ガイドブックにはグレハンのバスパスは使えないと書いてあったが、とりあえずそのバスパスを提示しながらトフィーノまでお願いするとスタッフにいうと、何とバスパスが適用され別料金を払わずに乗れることがわかった。片道だと約30ドルの金額だ。往復にして60ドルこの節約は結構大きい。何事もだめ元でチャレンジをしてみるものだ。スタッフはバスパスとは別にナナイモ〜トフィーノ間の往復のバスのチケットを発行し俺に渡してくれた。

 ターミナルで10分くらい待機してると、トフィーノ行きのバスに乗車できることとなった。運転手にチケットを渡し行き先を伝えると、運転手はチケットにパンチを打ってから戻してくれた。乗車率はそれほど高くはなく、余裕で2席分のシートを独り占めすることができた。

 8:30の定刻通りにバスは出発した。今日は天気もいいから絶交のバス旅日和だ。ナナイモからトフィーノまでは約4時間の移動だ。長くもなく短くもなく、ちょうどいい距離である。バスはナナイモのダウンタウンを抜けるとすぐに郊外の景色に変わった。

 ちなみに、ナナイモ〜トフィーノ間のバスは一日に2本しかない。8:30発と12:45発だ。しかも12:45発は5/25〜10/5(2002年度)の期間限定になってるから、これからトフィーノにいかれる人は最新版の時刻をチェックしておく必要があるのでご注意を。

 何ヶ所か、バス停での停泊を繰り返し、バスはポートアルバーニという所についた。ここはナナイモ〜トフィーノまでの間で唯一20分間も休憩ができる場所である。こういった時間があるときは真っ先に降りて喫煙の時間となる。バス内はどこでも全面禁煙なので喫煙者にとってはバスの移動は苦痛の旅となってしまうのだ。だから10分以上の休憩が入ると喫煙者は真っ先にバスに降りて短い時間内にむさぼるようにタバコを吸わなければならないのである。ポートハーディのバスターミナルはなんだか町の郵便局の事務所のような感じでこじんまりとしていた。ここの事務所では犬を何匹も飼っており、荷物を出し入れするスペースにも我が者顔で犬が歩き回っていた。事務所の前には一匹の大きなハスキー犬がゴロンと歩道をふさぐように横になっていた。ハスキーといっても日本で見るシベリアンハスキーとは違うようで体型が一周り二周りもでかい。バスの乗客が5〜6人固まってそのハスキー犬にちょっかいを出していた。犬はなんだか迷惑そうに上目遣いでこちらをみながら、身動きもせずじっとしていた。その内その犬があまりにも皆から頭なでなでとされるのを嫌がるかのように、のそっと立ち上がって事務所の奥によろよろと歩きながらその場を離れていった。おまけに立ち上がった直後にションベンも垂れ流していった。俺のとなりにいた青年が、
「老犬だな。」
とつぶやいた。確かに言われてみて、俺もそんな感じがしてきた。

 20分の休憩はあっという間に終わり、バスはトフィーノに向けて走り出した。ふと、車窓の景色をみながら思いついたのであるが。ここの景色を見ててなんだか懐かしい感じがしてきた。全くカナダというにおいがしてこない。どちらかというと日本的な風景に近い。以前東北に住んでいたときに、何度も目にした蔵王の近辺の景色に非常によく似ていた感じがした。道路の方もなんとなく高原道路といった感じであった。

 しばらくアップダウンのある道路を走っていると、大きな湖に出くわした。名前はなんだかわからん。なかなかいい眺めの湖であった。

 途中、道路が渋滞となりバスは停車した。道路工事か事故かと思ったけど。その渋滞の原因は両者ともにはずれであった。先住民達がデモ行進を行っていた為渋滞が起きていたのであった。バスの窓からちらっと彼らの掲げている横断幕やプラカードを見たら、「レインフォレストを守れ」などと言ったような事柄が書かれていた。ここバンクーバーアイランドは気候的に雨が多く、湿潤の為非常に森が多い。バスの走行中も沢山の森があった。おまけに雨が多いためか、木々の太さが半端ではなかった。なんかの本で読んだのだが、ここバンクーバーアイランドの木の伐採に関して先住民の人たちとそうでない人たちとの間で様々な摩擦あると書いてあったのを思い出した。そもそもの発端は土地に対する概念の違いである。先住民の人達は西洋人がカナダに来るずっと以前からその土地で暮らしており、そこが「自分達のもの」と認識している。しかし非先住民の人たちからみると「土地は政府及び国のもの」と認識している。これだけ多くの森を抱えていれば、資本主義の国であれば当然製材会社が目をつけるのも自然なわけであるが、先住民の人たちにとってみれば、自分達に断りもなく勝手に木を切られてはたまったものではないというのである。コロンブスがアメリカ大陸を発見するはるか1〜3万年前にシベリアからベーリング海峡を渡ってこの土地に根付いてきた彼らは、その土地や動物との霊的な信仰や儀式をずっと守り続けてきた。そういった関係から、土地に対する執着心が非常に高くなっているという。「土地とはいったい誰のものであろう?」といった複雑な気持ちが湧いてきてしまった。

 トフィーノの手前にあるユークルーレットという町に停車した。ちょうど、グローサリーストアの手前で止まったので、その店でタバコ、ミネラルウォーターとスナック菓子を買った。ちょいと小腹が空いて来てしまったのだ。バス車内に戻ると運転手がチケットのチェックをしにやってきた。俺のところにやってくるとその運転手は、
「どこから来たんだい?」と尋ねてきた。
「日本からです。」と答えるとその運転手は、
「マイドオオキニ、モウカリマッカ?ボチボチデンナ〜。」とどこで覚えてきたのか知らんが関西弁で挨拶をしてきやがった。「コニチワ」とか「ドーモー」とかいってくる外人は沢山いるが、関西弁を話す外人というのはなんだかめずらしいというよりちょっと違和感を感じてしまうのであった。

 ユークルーレットを出発してから30分位でようやくバスはトフィーノに到着をした。ここにはバスターミナルというものがなく、とある空き地の歩道がバス停となっていた。バスから降り荷物を取り出した。他の乗客は既に宿が確保してるのか、それぞれ散らばってバス停にいるのは俺だけになった。焦ってもしょうがないので、タバコを吸いながらガイドブックを広げ今日の宿探しをはじめることにした。しばらくガイドブックを眺めていると、関西弁を話すバスの運転手がやってきた。
「何を探してるんだい?」
「ホステルの場所を探してるんです。」
「ホステルなら、そこを下って左に曲がりなさい。後はずっと道沿いを歩けば、ホステルに着くから。」
「助かりました。ありがとうございます。」
ガイドブックにあった地図にもホステルは記載されてた。よくみると街のはずれにある。また重い荷物を背負ってひたすら歩くのも辛いので、近くの公衆電話からそこのホステルに電話をかけてみた。しかし、電話はなかなかつながらず。30分位してようやく出てくれた。がしかし...

 ホステルは満室で泊まれないことが判明してしまった。しょうがない困った時は観光案内所に行ってどこか宿を紹介してもらおうと思い、観光案内所に向かった。ガイドブックに書かれてる地図では電話をかけた場所からすぐなのに一向にそんな建物はない。あるのは更地になった空き地だけ。
「おかしいな〜、確かこの辺なんだけどな。」
一旦バス停に戻ると、例の運転手が話し掛けて来た。
「どうした?」
「ホステルが満室で、観光案内所でB&Bでも探そうとしてるんだけど、観光案内所がどこにもなくて。」
「あそこに警察署があるからそこで聞いてみるといいよ。それより君、新しい土地に来たら宿なんかさがしてないで、こうやって(手の平をおでこに当てながら遠くを眺めるかんじで)『ドコカニ、カワイイコ、イナイカナー?』ってしないと。」
運転手は相変わらず陽気に日本語を交えておどけて見せた。しかし、その時の俺の心境は宿を探さないという焦りで笑う余裕が全くなかった。ここで宿が確保出来なければ、16:45発のナナイモ行きのバスで戻らねばならない。時間的に後3時間で探さなければならないのだ。

 運転手に礼を言って、まずは警察署に行って見た。
「すいません。」というと一人の女性の警官が対応に現れた。
「何か御用?」
「観光案内所はどこにあるのでしょうか?」
「案内所は先日移転したのでこの街にはないの。ここから車で20分程戻らないとだめなの。」
何〜、移転?どうりでないわけだ。そういえばここに来る時バスの車窓から「?」のマークの看板を見たことを思い出した。
「あなた車で来たの?」
「いえ、バスです。歩くとどのくらいかかりますか?」
「徒歩だとちょっと無理ね。」
「後、すいませんこの辺にキャンプ場とかあります?」
「あるけど、徒歩だと1時間以上はかかるわ。」
一時間はきつすぎる。軽い荷物だったら問題ないが20KGを超える荷物を背負ってだと恐らく2時間以上はかかるだろう。そんな気力は毛頭ない。最悪野宿とう手段も考えたが、この辺の森はブラックベアやクーガーも生息してるからあまりにも危険すぎる。とりあえずキャンプも諦める事にし、新しく移転した観光案内所の電話番号を教えてもらって警察署を後にした。

 先程、電話で満室と言われたホステルに今度は直接出向いて確認を取ってみることにした。もしかしたらキャンセルが出てるかもしれないからだ。もう藁にもすがる気持ちで、重い荷物をえっちらほっちら担ぎながら歩いていった。30分位してようやくホステルに到着した。入り口にいくと誰もいない。
「すいませ〜ん。」と何度も叫ぶとようやく一人のおっさんが出てきた。
「何かようかい?」
「すいません、今日泊まりたいんですが開いてますでしょうか?」
「申し訳ない、今日は満室なんで。」
「明日はどうですか?」
「明日もあさっても、明々後日も、一週間後まで全部満室です。」
「あ〜、わかりました...」
なんだか、どっと疲れが出てきた。まあ予約もしない俺が悪いのではあるが。しかし、ここまで来てこのまま日帰りするのもなんだかもったいない気がして仕方がなかった。ホステルまで歩いた時に感じたのだが、この町はとても素朴な感じがしてならなかったのだ。

 ホステルを後にしトボトボと途方にくれながら歩いていると、一人の女性が声をかけてきた。
「ねえ、どこかにバックパッカーズハウスあるとこ知らない?」
よく見ると、今日トフィーノに来る時に同じバスにのってた人であった。今日はじめてここに来たばかりの日本人の俺に宿を尋ねてくるなんてずいぶん切羽つまってんだなと思いながら、
「ああ、あるよ。2件ある。でもホステルは1週間先まで満室だよ。」
「ホステルは今日の分は大丈夫なんだけど、明日の泊まるところがないの。」
ホステルに泊まれるのかいいなーと思いながら、
「ウィンドライダーという宿があるよ1泊25ドルね。女性専用の宿だから。場所はホステルの手前の左側にあるから。歩いていけばわかるよ。」と教えてやった。

 街中の公園でぼーっと今後の予定をどうするか悩んでいたら、大きい便意をもようしてきたので公衆トイレにはいった。しかしまあ、汚ねぇ〜トイレだ。便器は銀色のステンレス製で出来ていたけど、不特定多数の人が利用するので、便座にまで小便らしきものが飛び散り正直便座に座る気力が失せるような汚さであった。しかしもう我慢ができない状態だったので、トイレットペーパーで汚れをふき取り且日本から持ってきた便座除菌クリーナーで拭き仕上げをしてようやく座ることができた。

 用を足した後腹が減ったので、近くのサンドイッチ屋によりそこで昼食を取ることにした。店のデッキには幸い公衆電話も置いてある。昼食後、まずはガイドブックに書いてある宿の所に電話を入れてみた。先程ホステルからの帰り道で見つけたモーテルが掲載されていた。確か看板に「VACANCY」とサインがあったのでまだ満室ではないはずだ。ガイドブックの料金にはシングル65〜95ドルと書かれていた。
「すいません。本日部屋は開いてますでしょうか?」
「空いてます。」ずいぶんそっけない答え方だ。
「ちなみにシングルは一泊いくらでしょうか?」
「120ドルです。」
なに?120ドル?高い高すぎる。ガイドブックの料金提示はあまり当てにならない。およその目安で判断し、実際には直接確認したほうがよい。これは今回だけではなく、10年前に初めてアメリカを旅したときも同じような現象であった。
「あー、わかりました。また電話します。」
というと電話の向こうは、ガチャリと感じ悪い切り方をした。とりあえず、このモーテルはすべり止めという形でキープし、他の宿を当たってみることにした。カナダの宿はシーズンオフだとピークシーズンの半額以下で泊まれるところが多いが夏のこの時期はどこもピークシーズンにあたるのでとても高い。

 こんどはB&Bにかけてみることにした。日系人が営む宿が掲載されてたので、そこに電話をかけてみた。料金表示はピークシーズンでもシングル50ドルと書かれていた。高くてもせいぜい60〜70ドルくらいだろう。しかし、電話をかけてもなかなか通じなかった。留守番電話になっているのだ。1時間位してようやくつながった。しかし、ここも満室であった。最後の手段は観光案内所に電話をして、そこで宿を紹介してもらう事にした。英会話ハンドブックを開き、頭の中で使うフレーズを練習しながらさっそくかけてみた。
「はい、観光案内所です。」
「すいません、今日泊まれるB&Bを探してるのですが。」
「どのくらいの料金で?」
「70ドル以下を希望します。」
「何名?」
「自分一人です。」
「ちょっと待ってて調べてみるから。(待つこと2〜3分)じゃあ、ここに電話をして確認してみて。」といわれて電話番号を教えてもらった。その時この教えられた電話番号が宿を紹介してくれる所と勘違いしながら早速電話をかけた。
「すいません、本日70ドル以下で泊まれる宿を探してるんですけど、ありますでしょうか?」
「ありますよ。」
「そうですか。ではその宿の電話番号を教えてもらえますか?」
「XXX-XXXX」俺はあわててガイドブックの余白にボールペンで番号を書き込んだ。
「宿名は?」
「ペニーズプレイスです。」
「ありがとうございます。ではそこに電話をしてみます。」
「おいおい、うちがペニーズプレイスだよ。」
?っと一瞬言葉を失った。俺はてっきり観光案内所が教えてくれた電話番号は宿を紹介してくれる事務所の番号かと思っていたのだが、実は紹介してくれたのは宿の電話番号だったのだ。受話器と一緒に握り締めていた電話番号の書かれたメモ用紙とガイドブックの余白に書き込んだ番号は見比べるとまさに同じ番号であった。
「あっ?あ〜そうですか。すいません。では今日と明日の2泊を希望したいんですけど。私一人だけです。」
「大丈夫だよ。お名前は?」
「B−Yです。これからそちらに伺っても大丈夫ですか。」
「あぁ、全然問題ないよ。」
「では、場所を教えてください。手元に地図があります。今自分はキャンベル通りのジェイミーズ・ホェーリング・ステイションの事務所前にいます。」
「それなら、すぐ近くだよ。うちの住所はキャンベルストリートXXXだ。」
地図を持ってるといっても番地なんか載ってるわけがない。番地で言われても正直俺にはわからなかった。
「すいません。番地だとわからないので行きかたを教えてください。」
「キャンベル通りを警察署のある方向に向かって。4番通りの1ブロック手前にあるから。」
この説明を聞いてもちんぷんかんぷんであった。俺の今いる場所はちょうどキャンベル通りと4番通りの交差点のすぐ近くにあるサンドイッチ屋だ。その隣にジェイミーズなんとかの事務所が隣接されている。何回も繰り返して確認しても、4番通りまでは行かない、その手前だと教えてもらってもさっぱりわからないのだ。俺の英語力がだめなのかと思っていた。それでも電話の向こうのおじさんはいやな態度を一つも示さず一生懸命丁寧に教えてくれた。そのうちやり取りをしてると地図上に「ペニーズプレイス」と書いてあるのをみつけた。
「あっ、わかりました。地図にそちらの宿が掲載されてました。では今からそちらに向かいます。」
と言って電話を切った。その地図に掲載されてる場所と電話のおじさんが言ってた内容は逆であった。道理で話がかみ合わないはずだ。後になってわかったのだが、この基点となったジェイミーズ・ホェール・ステイションはサンドイッチ屋の隣のほかにもう一軒事務所があったのだ。宿のおじさんはそっちの方を基点に説明をしてたので、話がちんぷんかんぷんになっていあたのであった。

 やれやれ、ようやく宿が取れて一安心した。毎度の事ながら、新しい土地にくる初日は宿探しに翻弄されてしまう。大抵、すぐに宿がとれるケースが多かったので、予約無しで行くパターンが多いのであるがたまにこのようなケースはまれであるから、直面してしまうととても焦ってしまうのだ。でも、過ぎ去ってしまえばこういったアクシデントもまたいい思い出なるから不思議だ。

 重いザックを背負い、とぼとぼと予約した宿に向かった。バス停の近くを通ると、関西弁を話す運転手がいたので、手をふってあげたら、相手も元気よく返してくれた。ガイドブックに書かれていた地図をみながら歩いていくと、その宿は5分くらいで到着した。道路の脇に「ペニーズ・プレイス」と英語で書かれた看板があったからすぐにわかった。庭を通り過ぎると、古い木造の家があった。玄関の呼び鈴を押すと、初老のばあさんがでてきた。
「すいません。先程電話で予約したB-Yですが。」と告げると、どうぞどうぞと中に入れてくれた。玄関の目の前は広いリビングになっていた。宿のばあさんはまず部屋に荷物を置いてこいというので、そうすることにした。階段を上がって左側の部屋が今回俺の泊まる部屋であった。部屋には一人で寝るには広すぎるくらいの大きなダブルベッドがどかんと置いてあった。

 荷物を置いて再度一階のリビングに行き、テーブルに座りながら、そのばあさんから朝食は何時からとか全室禁煙であるとか、24時間出入りOKであるなど、宿に関する説明を受けた。一通り事務的連絡を聞いた後、会計をすませた。帰る時でもいいといわれたが、さっさと済ませたかったのでその場で2泊分の料金をトラベラーズチェックで支払った。その後、ばあさんはトフィーノの地図を一枚もってきてくれてレストランや観光名所などの簡単な説明をしてくれた。ここでどうすごすのかと尋ねられたので、ホェールウォッチングをするつもりだというと、絶対に予約をした方がいいと教えられた。そしてゾディアックというボートで観察するのがいいとも教えられた。ゾディアックとはゴムボートに船外機をつけたものだ。軽量で小回りが効くのでクジラにもの凄く接近することができる。ただし、波しぶきを浴びることもしばしばで当然ながらトイレなど付いてない。ただ波しぶき対策としてツアー会社から防風防水性の専用スーツが貸し与えられる。その他にゆったりとクジラを見学したい人はグラスファイバー製のボートでの見学だ。こちらはクルーザーのようなボートでトイレも付いている。船の上でのんびりコーヒーでも飲みながら見物ができる。ただしボートがでかいので、あまりクジラに接近してみることが出来ないそうだ。写真を取るなら、波しぶきを浴びないグラスファイバー製のボートでの見物が望ましいとガイドブックに書かれていた。俺としても当然の事ながら、写真を取りたかったので後者のグラスファイバー製のボートで見学をしようと思ってたのだが、宿のばあさんはホェールウォッチングをするなら絶対にゾディアックで見るべきだと盛んに薦めてきた。
「ゾディアックで写真は撮れるのか?」と尋ねてみたが、多分とれるというあいまいな返事だったので、ちょっと心配であった。まあ、詳しくは店の人に聞いてみることに決めた。ばあさんは、お薦めのツアー会社を2件程俺に教えてくれた。

 一通り説明を聞いた後、シャワーを浴びることにした。宿を探し当てるまでの焦りと重い荷物を背負って歩いたりしたので汗だく状態だったのだ。宿のバスルームにはバスタブも設置されていた。バスタブのある所なんて、サスカトゥーン以来であった。とりあえずバスタブにお湯を溜めながら全身をきれいさっぱりと洗った。最後にバスタブにつかったけど、そこが浅いので、仰向けになるように寝っころがってつかった。やっぱり湯につかるというのは気持ちがいい。久しぶりだったので、じっくりとつかった。ついでに洗面所で無精髭もそっておいた。

 入浴後、ほてった体を冷やす為にベッドの上でごろんとなり休んだ。このままベッドの上にいると爆睡しそうになったので、ぼちぼち明日のホェールウォッチングの予約をしに出かけることにした。宿でもらったトフィーノの地図を手に持ち最初に向かったのは「クレイコット・サウンド・アドベンチャー」というツアー会社であった。

 事務所の玄関を開けると、一人ポツンと暇そうに突っ立てた女性スタッフがいた。
「何か御用?」
「すいません、ホェールウォッチングのツアーを申し込みたいんですけど。」
「温泉つきのツアー?」
「いえ、ホエールウォッチングだけのでいいんですけど」
「日にちはいつ?人数は?」
「明日です。人数は俺だけです。」
スタッフはファイルをめくり明日のツアーの確認をし
「あ〜、すいませんね。ホエールウォッチングだけのツアーは5人以上でないと開催されないの。現時点であなたしかいないから、明日またここに確認しに来て。」と言われてしまった。
いわゆる「催行人員5人以上」というやつだ。ちなみにここトフィーノの近くに温泉が出る場所があり、ホェールウォッチングとセットになってるツアーも数多く開催されている。温泉といっても水着着用だから、もし興味のある人は予め水着を持っていったほうがいいであろう。

 店の人にはまた来ますと言って置いたが、そんな気はさらさらなかった。明日行ってそのツアーが開催される保障もない。さっさと次のツアー会社に行くべく、地図をみた。次は「ホエールセンター」という会社であった。ここはガイドブックにも掲載されている。
ここは、自然保護団体が運営していて、キャンペルストリート沿いにある。店の中にあるカウンターに行き早速ツアーの申し込みをしに行った。ゾディアックのツアーを申し出たが、ゾディアックはないと言われ、その代わり高速ボートでのツアーだと告げられた。ゾディアックでないからちょっと悩んだけど、また新たなツアー会社を探すのも面倒くさいのでここに決めることにした。その前に、高速ボートでのカメラ撮影は可能であるかと、ここ最近のクジラの見れる確率はどのくらいか質問をしてみた。相手は野生の動物である。動物園のように、檻に囲まれたところに生息をしてるわけでないから、必ず見れるとも限らないからだ。相手のスタッフはこの時期であれば、ほぼ100%の確率で見れるといっていた。写真撮影に関してもたまたま、ツアーから返ってきた客が防水スーツを返却しに見せにやってきてたので、直接聞いてくれた。

「どうだった?」
「いやー、すごかったよ。目の前にクジラが泳いでいてね。びっくりした。」
「写真とか問題なくとれるでしょ?」
「ああ、もちろん。このカメラに沢山収めたよ。」
その会話のやり取りを聞いて俺は安心し、クレジットカードを出して、即サインをした。 レシートが渡された。スタッフは明日の10:00発だから9:45までここの事務所に来てくれと言った。念のため、もう一度確認をすると、スタッフは英語が不慣れな客だと察したのかレシートにボールペンで大きく「9:45am」と記載してくれた。

 やれやれ、今日のやることは全て終わった。あとはのんびりと街中を散策して時間を潰すことにした。どこに行こうかと考えながらガイドブックを広げた。近くに「イーグル・エアリー・ギャラリー」というのがあるので、そこに行ってみることにした。俺は全く知らんのだが、ロイ・ヘンリー・ヴィッカーズという著名な画家のプライベートギャラリーであるそうだ。入場は無料。中に入ると、彫刻やカヌーなどが置かれていて、壁には彼の作品である版画が沢山掛けられていた。俺はあまり、絵画には興味はないのだが、彼の作品は神秘的な感じのする作品が多かった。ギャラリーという事で一つ一つの版画に値段がついていたが、みると結構いい値段で売られているではないか。とりあえず一通り館内をくまなく見て外に出た。薄くらい館内とは対照的に外は相変わらず、明るくまぶしかった。

 次は1ブロック、隣のメインストリートにでて歩いた。ここの通りから海が良く見える。宿を探してる最中には気づかなかったが、こうして落ち着いて歩いてみるとトフィーノの町は地形的に海から小高い山の上にあるといった感じだという事がわかった。眼下には桟橋が置かれて、沢山の船が係留されたいた。地形的にフィヨルドのように入り組んでいる為、目の前には対岸の陸地や島がすぐ見える。これらも海岸から「ぐいっ』と突き出た感じで隆起しているのがわかる。砂浜がないから、ちょっとした湖のような錯覚に陥ってしまう感じがしてならない。メインストリートといっても、がちゃがちゃした感じはなく、とても落ち着いた感じだ。レストラン、宿、ホエールウォッチング会社などの店が海岸沿いを中心に構えてる程度だ。スシバーもあった。メインストリートからキャンベルストリートに戻り一周した。



ピクニックテーブルのある空き地からとった、トフィーノの港。天気もよく素晴らしい景色であった。


 再びメインストリートに入り、とある一角にピクニックテーブルがある空き地があったので、そこで休憩をした。タバコをふかしてると、相変わらずハエのように「タバコくれくれ君」がやってきた。今回は小銭をちらつかせてたので、素直に受け取ることにした。一本50セント。たばこを吸いミネラルウォーターを飲みながらずっと景色を眺めることにした。なんだかトフィーノはとても落ち着いた感じがして、結構気に入ってしまった。町自体もこじんまりとしていてとても小さい。30分も歩けば端から端まで行けてしまう。そして、いかにも「ここは観光地ですよ。皆さん沢山銭を落としていってくださいね。」といったような商魂たくましい雰囲気が全く感じられないのだ。勿論、観光客相手の土産屋、宿、レストランなど町の規模の割には沢山あるのだが、なんというか町の落ち着いた雰囲気の中に埋もれているといった感じで目立たないといった感じがしてならない。今もこうして、メインストリート沿いのとある一角でのんびりとできるのだ。

 時刻は18:00を過ぎた。日本であれば、夕方の空の明るさであるが、ここではまだまだ日は高かった。腹が減ってきたので、晩飯を食いにぼちぼち出かけることにした。何を食おうかいろいろ考えたが、無難な中華にすることにした。中華料理屋は町のはずれにあるところだった。店の中に入り、一人だと店員に告げると、あそこに座れと指をさされたのでそこのテーブルに座った。メニューを受け取り、一通り目を通した。腹持ちのいいご飯系がいいと考え、チャーハンとヌードルスープ(ラーメン)を頼んだ。飲み物はと聞かれたのでチャイニーズティーにした。チャイニーズティーはすぐに出てきた。大きなきゅうすと、湯飲み茶碗がテーブルに運ばれた。チャイニーズティーといっても味はジャスミン茶である。しばらくして、ようやくチャーハンとヌードルスープが運ばれてきた。量は相変わらず大盛りであった。フォークとスプーンしか運ばれてなかったので箸をついでにたのんだ。両方共味はまあまあ。でもチャーハンは量が多いのでだんだん飽きてくるから、適当に醤油をたらしてなんとか全部平らげることができた。食後会計そするために、請求を申し出たら、一緒に餃子の皮を油であげたようなお菓子がついてきた。食後の口直し用のお菓子かなと思い、そのまま口の中に放り込んで、ぼりぼりと食べたら、なにやら紙が入っていやがった。なんだろうと思い口の中から細長い紙を取り出した。勢いよく食べたから、紙は唾液で濡れ真っ二つに千切れていた。その紙には文字が印刷されていた。よく読んでみると、「遠方より、いい知らせがくる。」と書いてあった。「はは〜ん、これがおみくじか。」と昔何かのテレビ番組で見たことがあったことを思い出した。なので、今後中華料理屋で食後に出されたお菓子があるときは食べる時に注意するように...

 食いすぎたので、また腹ごなしをする為に町中を散策した。いいかげん、疲れてきたので途中スーパーで絵葉書を何枚か買った後、メインストリート沿いにある一軒のパブに入って、休憩することにした。パブの中に入ると一瞬まだ準備中なのかと思うくらい誰一人客が居なかった。とりあえず、窓際の席に一人座ってると、カウンターの奥から店員が
「何か飲みたいのがあるのなら、こっちに来て注文してくれ。」と言われたので、カウンターに赴きバドワイザーを一本注文した。支払いのシステムは典型的なその場で都度支払う、キャッシュ・オン・デリバリーであった。席に戻り、ビールをラッパ飲みしながら一息ついた。まださっき食べた晩飯が胃の中にたらふく残っていたので、少々炭酸系の飲み物はちょっと苦しかった。でも、タバコを店の中で堂々と吸えるのがいい。窓の外をみると、まだ太陽がこうこうと照りつけ、まぶしかった。時刻的には19:00をとっくに過ぎてるのだが、なんだか昼間っから飲んでるような感じだ。店の中を改めて見回してみると、結婚パーティでも行われるのか、様々なウェルカムメッセージが書かれた大きな黒板が掲げられていた。懐かしいコンビューター音が聞こえたと思ったら、その昔日本ではやった「ギャラガ」や「パックマン」のテーブルゲームがこのパブにおいてあった。全く懐かしいではないか。

 ふとその時ひらめいた。このままだと、夕日が拝めるのではないかと。日中は宿探しとかで、まったくそんなことを考える余裕がなかったのだが、こうしてのんびりと窓の景色を眺めていたら、そんな発想が浮かんできた。今回の旅のテーマの一つである「夕日を見てたそがれる。」というのがまた実行できそうだ。日没まではまだまだ時間がありそうだったので、酒をのみながら、さぼり気味であった旅日記と友人への絵葉書を書いて時間を潰すことにした。1時間もするとビールが空になったので、またカウンターへ行き今度はバーボンのジム・ビームとジンジャーエール割を頼んだ。これを飲んだら、結構酔っ払ってしまった。日記も何を書いているのかわからなくなってきた。今読み返してみると、きたない乱暴な字で手当たり次第書きなぐったような感じだある。店に入って2時間位たったろうか、陽もだいぶ傾いてきたので、ぼちぼち夕日を見にそのパブを出ることにした。


ほろ酔い気分でメインストリートを歩いてたら、ちょうど日没時であった。思わず足を止めて見入ってしまう光景であった。


 メインストリートを歩いてると、山々が夕日に照らされ、空もだいぶオレンジ色に染まりいい雰囲気になってきていた。例の、メインストリート沿いにあるピクニックテーブルの置いてある空き地に行くと、俺と同じように夕日を眺めに来てた人が何人も座ってた。ひょっとしたらここは、夕日を拝める為の広場かもしれない。広場には、カップル、老夫婦、中年夫婦、一人者、様々であったが、誰一人何もしゃべらず、ただ太陽が沈む方向を眺めていた。みんなこの夕日をみながら、何をかんがえているのだろう?とちょっと余計なお世話的な発想が生まれてしまった。ここからでは海に沈む太陽は拝めない。前方に陸地があるのだ。おまけにちょうど太陽が沈む方向に薄い雲がかかっている。それでも、空や雲はオレンジ色に染まり、見るものを皆黙らせていた。ふと考えたが、このオレンジ色というのは人々を黙らせる何か心理的な色なのだろうか?夕日に限らず焚き火もそうだ。キャンプ場などで、夜焚き火などをすると、それまで酒を飲んでて飲めや歌えやと騒いでいても焚き火のオレンジ色の炎を見ると皆黙りこくってしまうのだ。それでいて、ただゆらゆらと動く炎を眺めていても全然飽きがこない。不思議なものだ。


ピクニックテーブルの空き地から撮った夕日。空も雲もオレンジ色に染まり、それを見入る人たちはただ黙ってその光景を眺めていた。

夕日が沈んだ後、オレンジ色が段々なくなり、空はやがて青、紫、暗闇と変わりつつあった。


 陽もどっぷり暮れてきた頃、俺は宿に戻ることにした。宿に戻ると、宿のばあさんがいた。
「B-Y、食事は済ませたの?」
「中華料理を食べてきました。ホェールウォッチングの予約もしてきたよ。ばあさんが薦めてくれた、クレイコットサウンドは諦めた。5人以上でないとツアーが出来ないらしい。その代わり、ホエールセンターにしてきた。」
「あらそう、明日は何時にでるの?」
「ツアーは9:45にホエールセンターに集合だから、9:30にはここを出ようと思います。さっき、夕日を見てきたよ。すごいきれいだった。」
「良かったわね。明日の朝食は8:30からだからね。」
「わかりました。それじゃあ、おやすみなさい。」
俺は2階にある、自分の部屋に戻った。寝る前に一度外にでてタバコを吸いにいった。宿の庭には鶏小屋があり沢山の鶏がいた。部屋にもう一度戻り、広すぎるべッドの上でカントリーミュージックのFM放送を聞きながら、横になっていたら何時の間にか寝に入ってしまった。日中宿探しでかなり神経をすり減らしたから疲れるのも無理はない。明日はホエールウォッチングだ。是非とも生クジラをみたいものだ。

(つづく...)

 

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