7/30「バンクーバー~ナナイモ」
[2002年カナダ旅行記目次]
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*7/30バンクーバー~ナナイモ(晴れ)*

 昨晩は結構飲んだので、おかげで酔っ払いながらぐっすりと寝れる事ができたが疲れは残ってた。やっぱり夜行バスは疲れるのが正直なところだ。朝方カムループスという町でミールタイムがあった。朝飯でも食おうとバスを降りて、ディーポ内に入ったが相変わらずこのグレハンのディーポ内の売店にはろくなものが売ってなかった。しかたがないので、オレンジジュースとサンドウィッチを買いそれを朝食とした。外でタバコを吸い車内に戻ろうとするとバスがないではないか。一瞬焦ったが、同じバスに乗ってた人達も沢山いたので、恐らく車両変換であることが予測できた。しかし、ディーポには沢山のバスが停車してるので、どのバスに乗っていいのかわからない。周りの客も皆俺と同じように右往左往していた。誰かが次のバスがどれであるかわかったらしく、列が出来ていたので、俺もその列に並ぶ事にした。見覚えのあるバスの運ちゃんがそのバスに乗り込んだから多分そのバスであろう。しかし、列に並んだはいいが、周りの客もそのバスであるのか自信がないらしく、ただ皆が並んでるから私も並ぶといった感じであった。現に並んでる最中に俺のところに何度も、
「バンクーバー行きのバスはこれでいいですよね。」と尋ねられた。俺もこのバスがバンクーバー行きであることは自信がなかった。だから
「たぶん、そうだと思いますが。」としか考えられなかった。このグレハンはその国の客ですら不安にさせるサービス体制というのは頂けないと思う。日本では考えられんことだ。もっときちんと、アナウンスをするなりにして欲しいと思う。英語をあまり理解できない俺としてはいつも乗るたびに、「このバスは○○へいきますよね。」とバスの運ちゃんに確認を取る様にしてるから、不安は常につきまとってる。外人にまでやさしくしろとまでは言わんが現地の人間にはやさしくしろといいたい。

 カムループスを出発し、バンクーバーまであと5時間もある。ひたすら車窓の景色をぼーっと眺めることにした。そして飽きてくると携帯ラジオを取り出し、現地のFM局を探し出し、カントリーミュージックやクラシックロックを聞いた。やはりラジオは持ってきて正解だった。音楽好き、特に洋楽をメインに聞いてる人であれば、いろんな専門ジャンルのFM局があるので後は好きなジャンルを探して聞けばいいのだ。北米大陸のFM局の周波数帯は日本のラジオの仕様では聞くことの出来ない高い周波数帯の所もあるが、それでも日本から持ってきたラジオでも十分聞くことができる。

 昼頃にようやくバンクーバーのバスディーポに到着をした。次に向かう目的地はバンクーバーアイランドにあるトフィーノだ。しかし、トフィーノに行くにはナナイモという所で、グレハンとは違うバス会社に乗り換えなくてはならない。ガイドブックによる時刻表をみると、ナナイモ~トフィーノまでのバスの最終は昼の12:30となっている。ということは今日中に着くのは不可能なのでナナイモで一泊するしかない。とりあえずチケットカウンターに行きカナダパスを提示してナナイモ行きを伝えた。カウンターのスタッフはバンクーバーアイランドのバスの時刻表のパンフもくれた。ガイドブックに書いてある時刻表は2年前等の古い時刻表を掲載してるから、なるべくなら時刻表関係は、予めネットで調べておくか現地で最新版を入手しておいた方がいい。ガイドブックを鵜呑みにしていると現地についてダイヤ改正の可能性もあるからだ。13:45のバスがあるのでそれに乗ることに決めた。バスの発車時刻までまだ時間があったので、ディーポ内にあるマクドナルドで昼食をとることにした。注文はお決まりのビッグマックセットだ。少々食いあきたがこれが一番おなかいっぱいになって丁度いい。ディーポ内には相変わらず、旅行者やワーホリの日本人が沢山いた。みんな思い思いをこめてあちこちへ散っていくのであろう。

 ナナイモ行きのバスはグレハンではなくパシフィック・コーチ・バスという会社名が書かれていた。恐らく共同運航なのであろう。今回はフェリーに乗ることになるので、荷物につけるタグを2種類つけなくてはならなかった。いつものゴムひもが着いたタグと細長い青色で「NANAIMO」と書かれたシール状のタグだ。周りの人がみんなつけていたので、俺も心配になり近くにいた人に質問して、つけなければならないことを知った。こういった交通機関を利用する時は周りの人の行動をなるべくチェックしておかなければいかないからちょっと疲れてしまう。

 出発の時間になったので、バスに乗り込んだ。今回も空席が目立ち2人シートを独り占めにする事ができた。バスはダウンタンからスタンレーパークを横切りハイウェイに入った。途中対抗車線が渋滞してると思っていたら、車の事故があり、路肩に車の前方が激しく潰れた事故車を見ることができた。バス車内の乗客のその事故車を見て「おー」と一瞬どよめきが起きた。

 しばらくして、今度は俺の乗ってるバスが渋滞にはまった。これは、フェリーに乗るためその順番待ちによる渋滞であった。ある程度のろのろとバスが走ってると、道路は何車線も広がりを見せた。バスは最優先車種の為かすんなりと通ることができ、フェリー待ちの最先端にたやすく着くことができた。次のフェリーが来るまでまだ時間があったので、運転手が喫煙タイムを設けてくれて、バスから出れることとなった。外に出て一服してると、10分位で運転手がバスに乗り込めと指示を出してきた。フェリーがバンクーバーアイランドからやってきた車と乗客を吐き出し、ようやくこちらが乗り込む順番がまわってきたのだ。

 船内に入ると、運転手がフェリーの運航時間は90分で到着する10分前にバスに戻ってこいと指示を出してきた。それまでは船内での自由行動となる。乗客は全員車外にでて船内に向かっていった。


天気もよく絶交の船旅日和だ。バス旅で船旅も楽しめるなんて何だか得をした気分になってしまう。


 船内の座席はどこも満席だったので、俺はデッキにでた。天気もよくまさにフェリー日和だ。いざフェリーが出発をすると、移動することにより風が強くなり始めた。デッキも人が一杯で、どこも座るところがない。


船内も込んでいたけど、デッキもまた込んでいた。周辺はこの天気のよさを利用して、むさぼるように日光浴する人たちが多かった。


周りの人は適当なところに座ったり、日光浴をかねて寝転んでいる。女性も堂々と寝転んでいた。しかもミニスカート状態だからパンティが丸見え。何だか得をした感じで嬉しかった。思うのだが、このフェリーでのパンチラ度はもの凄く高い。しかも普通に歩いてるだけで目の中に自然と入ってくるのだ。ローライズ系のGパンなどをはいてる女性が多いので、しゃがんだりしてる人はほぼ間違いなく見えていた。俺の見た中ではTバックの比率が一番多かったような気がする。50歳をすぎたオバハンもしっかりTバックをはいていた。なのでこのフェリーはとても気に入ってしまったのだ。

 ずっとデッキ出てると寒くなってきたので、一度船内に戻った。船内には観光案内所に置いてあるような様々なパンフレットが置いてあったので、とりあえずナナイモやトフィーノ関係の宿のパンフをかき集めた。今回もいつものように宿の予約は行ってなかった。なので、ナナイモでの宿の事がとても気になって仕方がなかった。船内のコーヒーショップでコーヒーを買い、それを飲みながら適当にあいてる座席を見つけ、パンフレットを眺めた。その内何故かねむくなりうとうととしてたら、あっというまに時間が過ぎバスへ戻る時刻となった。バスに戻ると来る時に座ってた場所に他の客が座っていた。一応バスから降りるときに目印として帽子を置いておいたのだがあまり効き目はなかったようだ。後ろの席が空いてたので、そこにすわり「すいません。」と言って目印代わりとして置いておいた帽子を取った。俺の座席に座っていた客は謝っていたが、「気にしなくていいよ。」と言っておいた。

 17:00頃バンクーバーアイランドにいよいよ到着した。他の乗客はタクシーやら迎えに来てもらったりであっというまに居なくなってしまった。俺はバスターミナルのベンチに座って、ガイドブックを取り出し、宿をそうするか考えた。一応ユースはあるようだが、町から外れてり行き方がよくわからない。観光案内所も17:00で閉店だから、今更行っても無駄なのでまずは町の地図を探そうとターミナル内に入ってみた。ターミナル内にも観光用のパンフレットとか置いてあるところが多い。しかし、ここのターミナル内には何も置いてなかった。思い荷物を背負っていたので、疲れた顔をしながらとぼとぼとターミナルをでるとベンチに俺と同じようなバックパッカーのおっさんが声をかけてきた。
「どうした?疲れてるのか?それにしてもえらく重そうな荷物だな。」
「いやー、重すぎです。実は宿を探してるんだ。」
「ははは、俺の荷物を見ろよ、君と一緒だ。宿ならここから近くにホステルがあるぞ。」
「えっ?まじ?どこどこ。」
「ナナイモには二つある。こことここだ。」と言って彼は自分のガイドブックから、2箇所のホステルを教えてくれた。その2箇所はガイドブックやパンフレットで予めしっていたが、場所が良くわからなかったので非常にありがたかった。とりあえず電話番号をノートに書き写し、ここから一番近いホステルの場所を彼に聞いた。口で聞いてもよくわからないので、ノートに簡単な地図を書いてもらった。しかし、その地図通りにいってもちっともホステルは見当たらず俺は途方にくれてしまった。しかもアップダウンの多い地形だから重い荷物を背負って歩くと披露度がとてつもなく高い。しばらくあちこち歩き周ったが諦めることにした。「Tim Hortons」の看板が見えてきたので、そこ冷たいアイスティーとサンドイッチを食いながらしばらく休憩することにした。
「あ~、今日の宿はどうするかな。」といろいろと考えた。最悪はバスターミナルの隣にあるモーテルらしき宿にしようかとも考えた。「NO VACANCY」の表示がなかったので、恐らく泊まれるとは思うのだが、いかんせん値段がわからん。まだまだ体力的には大丈夫だったので、あまり高い宿には泊まりたくはなかった。考えたあげくもう一つのホステルに直接電話をして確認することにした。

 Tim Hortonsの店をでると、公衆電話を探すことにした。とある店先にあったので、そこから電話をかけた。「CANBIE INTERNATIONAL HOSTELS」という所だ。カナダに来て2回ほど電話で宿の予約をしたことがあるけれども、やはり海外での電話はなんだか緊張をしてしまうのであった。
「あの~、すいません。本日そちらに泊まりたいのですが大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。何名ですか?」
「男性一人です。それと今、ターミナルアベニューとキャンベルストリートの近くにいるんですけど、そちらの宿までの行き方をしりたいんですが。」というと電話の相手は早口でベラベラとしゃべりだした。英語が不慣れなんで、もっとゆっくりしゃべってくれといっても、あまり効果がない。ローカルバスターミナルからコマーシャルストリートがどうのこうのと何とか聞き取れたのだが、ガイドブックに書かれている地図を見ながらではすぐさまわからなかった。でも電話の向こうでは、あまりいやな対応をせず何度も同じ事を説明してくれたのが嬉しかった。とりあえず、ローカルバスターミナルの近くまでいって、もう一度そこから電話をするということでいったん切った。

 再び重たい荷物を背負いながら、フラフラと歩いていくと、偶然にもコマーシャルストリートに出くわした。多分この辺かなと歩いていくと運良くその宿に到着をした。宿周辺にはそこの宿の宿泊者と思われる若者が何人かたむろしていて、俺の姿をみるなり、「やあ」と声をかけてきた。多分同じバックパッカーであろう。同じ旅のスタイル同士が会うと結構気軽に話し掛けられるパターンが多い。これは日本でも同じだ。バイクや自転車で旅をしてると、よく声をかけたりかけられたりした。同じ旅人同士としての何か共通するものがあるのであろう。

 宿の建物は一階がパブとカフェがあって、2階以上が宿泊所となってるようだ。建物の中央に2階にあがる為の玄関があるがカギがかかっていて開けることができない。ガチャガチャとやってると、誰かが、
「宿に泊まる人?受付はカフェのカウンターでしないとだめよ。」
と言われ、そのカウンターに向かった。そこはカフェというか惣菜屋というか何だかよくわからん店であった。カウンターに店員らしき姉ちゃんがいたので、
「すいません。宿に泊まりたいんですけど。」
「予約してる人?」
「いえ、さっき電話したものです。ベッドありますよね。」
「ええ、大丈夫よ。じゃあこのカードに住所と名前を書いて。それとパスポートも見せてね。一泊でいいのね。」
カードに必要事項を書いてついでにパスポートも提示した。彼女は俺のパスポートをみて旅券番号をそのカードに旅券番号を控えた。手続きが終わると、1泊20ドルプラスキーデポジット代(キーデポジットハカギをなくさなければチェックアウト時に返還されるもの)という事で俺はトラベラーズチェックで清算した。おつりは現金でくるから、両替する意味でやっておきたかった。カギと名詞みたいなカードを渡された。カギは2つあり、玄関とフロアーキーが一緒でもう一つは部屋のカギであった。カードは翌日の朝食のチケットとなっており、コーヒーとマフィンが食べられるとの事であった。

 セキュリティはまあまあしっかりとした感じだ。玄関をあけ階段をあがると古い構造のためかミシミシと音を立てた。階段を登りきるとまたカギのかかったドアがあり、そして部屋のカギをあけてようやくベッドのある部屋に辿りついた。部屋には3つの二段ベッドがあった。部屋に一人ドレッドヘアの若者がいたので、「やあ」と挨拶をすると彼は返事をせず、めんどうくさそうにコクリと小さくうなづくだけであった。何だか感じの悪い奴だ。ベッドは下段を希望したけど、どこも埋まっていたので、一番奥のベッドの上にする事にした。部屋の雰囲気がなんだか息がつまりそうな感じだったので、荷物をその辺において、貴重品だけを見に着け俺は外にでた。

 ナナイモはバンクーバーアイランドの第二の町だ。一番大きな街はビクトリアである。とりあえずナナイモでの滞在は単なるトフィーノへ行く為の前泊にすぎないので、観光は最初からする気はなかった。第一夕方についたのでそんな時間もない。晩飯を何を食うかを考える為にちょっくら街中を散策しにいった。ナナイモは海に面した町で地形的に起伏が多い。バンクーバアイランドは火山性の作用で海中から隆起したために盛り上がった感じの地形となっている。それとフィヨルドの用に陸地の奥深くまで海が入り組み小さな島々も沢山点在している。


ナナイモの港、漁船からヨット、プレジャーボートが所狭しと浮かんでいた。


 さっきサンドイッチを食べたばかりなので、ちょっと腹ごなしの運動を兼ねるためにヨットハーバーの見えるところにいってみた。ハーバーの桟橋には大小様々なクルーザー、プレジャーポートなどが係留されていた。タバコをふかしながら適当に歩きぼーっと景色を眺めた。ぼーっとしてる時に、何を食うか迷ったが、確かガイドブックにこの辺の近くに日本料理屋があるのを掲載されてたのを思い出し、とりあえずその店に行ってみることにした。考えてみればカナダに来て、まだちゃんとした日本食を食べてなかった。


ナナイモの日本食レストラン「SAKE HOUSE」。なかなか美味かった。機会があれば、また寄ってみたい。


その日本食屋の名前は「SAKE HOUSE」というところであった。ナナイモ博物館のあるハーバーパーク内のところだ。ネオンにでっかく「SAKE HOUSE」と書かれ「JAPANESE RESTAURANT」「TEMPURA・ROBATA BAR」とも書かれていた。そして窓ガラスにも「SUSHI すし・TEMPURA 天ぷら」「SUKIYAKI すきやき」「TERIYAKI  てりやき」と英語となつかしの日本語も交えて書いてあった。なんだかここまで来ると食べずにはいられない心境になってしまった。外国に行ってまで日本食なんてと思う人もいるかも知れないけど、意外と海外で日本食を食べてみるのも面白いと思う。結構その国の人達の好きな味付けにアレンジしてあるので、また違った意味での味が楽しめるからだ。また味噌汁など禁断症状的に食べたくなった人達にとっても日本食レストランは欠かせない存在だと思う。

 店の中に入ると、人気があるのか結構混んでいて、レジの端にある待機用の椅子に座らされて次の空く順番を待った。店の内装は、割烹屋と言った感じのいい雰囲気であった。確か座敷もあったような気がする。俺の後からも客が何人かやってきた。誰かが会計を済ませたのでようやく俺の番がくるかなと思ったら、中年のおばはんウエイトレスが間違えて後から来た客を案内しようとした。俺がむっとして文句を言おうとしたら、その前にその案内されようとした客が俺の方を指をさし「彼の方が先だ。」とウェイトレスに教えた。

 案内された席は2人用の小さなテーブルであった。おばはんウェイトレス見た目は東洋人であるが日本語はしゃべれないようだ。テーブルの上に日本の銘柄のビールの写真があったので、
「日本のビールおいてあるの?」と聞くと
「あるわよ。サッポロだけど。」
「じゃあ、それ一つお願いします。後メニューも。」
と注文した。ビールはすぐにでてきたが、肝心なメニューが一向に来ない。しばらく俺はイライラしながら、メニューが来るのをまった。俺の後から来た客にはきちんとメニューが運ばれ、すでに料理まで運ばれてきてる。完全に忘れられてるのだ。
「くそ、あのババア。何考えてるんだ!」
むかついて呼び止めようとしたけど、おばはんウエイトレスは忙しいのでなかなか呼び止められなかった。大きな声をあげて呼ぶわけにもいかないので、仕方がないからメニューのおいてあるカウンター脇に自分で取りにいった。メニューの近くに突っ立ってた、若いウェイトレスの姉ちゃんにわざと怒った口調で、
「これ持ってくぞ。」とメニューを引ったくる感じで取った。そのウェイトレスはビックリしながら、
「すいません。」と謝ってきた。

 席に戻り、メニューを広げ何を食うかいろいろと考えた。寿司、天ぷら、すきやき、なべ、定食といろいろあったが、無難な定食にする事にした。近くを通りかかった東洋系のウェイトレスに手をあげてオーダーを取ることにした。とりあえずコンボと書かれているのを注文すると、なにやら英語でごちゃごちゃと聞いてくるではないか。おぼろげながら理解すると、どうもこのメニューの中から2つの食べ物を選べといった感じである。俺が
「この範疇から選ぶんですか?」と聞くとそのウェイトレスが
「日本の方ですか?」と日本語で尋ねてきたので、
「ええそうです。」と日本語で答えた。
「こちらのコンボメニューですと、お客様の好きなおかずを2品選んでいただく形になるんですよ。」
「ああ、そうですか。では天ぷらと牛肉炒めでお願いします。あとサーモンのにぎりとBCロールをお願いします。」
いやー日本語を離せるスタッフで助かった。海外のレストランはいろいろと注文をつけるシステムが多いので、そういうのに慣れてない俺にとっては結構躊躇することが多い。ひどい時は店員にいやな顔をされることもあった。

 料理が出てくるまでビールを飲みながら、店内の様子を眺めた。奥にあるカウンターの向こうはキャップを被ったそこのオーナーらしき板前が一生懸命魚を裁いていた。外人スタッフも厨房にいて、手ぬぐいのようなバンダナを頭に巻き、一生懸命料理を作ってた。店内は相変わらず盛況で、活気に満ち溢れていた。客はほとんどが外人で日本人は俺だけであった。

 先ほどの日本語の話せるウェイトレスが料理を運んできた。お盆の上に、仕出し弁当のような黒い容器に料理が盛られていた。天ぷら、牛肉炒めの他に冷奴と漬物と野菜サラダもあった。そして何故かご飯の上には焼肉のたれがかけられていた。以前10年程前にアメリカを旅したとき、とあるご飯の出る料理屋で見かけたのだが、北米の人達はご飯に醤油などをかけて食べてることが多かったのを思い出した。日本人だとあまりご飯に醤油をかけたりする人は少ない。(実は俺も結構ご飯に醤油をかけたりするのが好きだ)どうも北米の人達は何の味もしないご飯を食べることをしないらしい。まあ、ご飯に限らずトーストを見てもバターが予め塗られているのにさらにジャムなどをつけて食べる人達だからなんとなく理解ができる。その他に熱い緑茶の入った上がりも添えられて来たのもなんだか嬉しかった。

 久しぶりにちゃんとした日本食が食べれて、とてもおいしく感じてしまった。なんだかんだいって、ご飯粒一つも残さず綺麗に平らげてしまった。(但し俺の大嫌いなキュウリがサラダにあったのでこれだけは残してしまった)いや~満足だ。やっぱり日本食はいい。満足そうにしてると先ほどのウェイトレスがお茶のおかわりを注ぎにやってきた。
「お味はいかがでしたか?あらでも、すっかり綺麗に平らげたので満足されたようですね。」
「ええ、大変おいしかったです。久しぶりに日本食を食べたのでつい夢中になって食べてしまいました。」
「ありがとうございます。またこちらにお越しの際は是非寄ってくださいね。では食後のお茶を召し上がってください。」
「ええ、また是非機会があれば立ち寄りたいと思います。」
なかなか、きちんとしたウェイトレスであった。最初のおばはんウェイトレスにはむかついてしまったが、終わりよければ全て良しという事でとても気分がよかった。店員一つの態度でこんなにも気分の違いをひしひしと感じてしまった。値段は俺的には少々高めだったけど、基本的にどこでも日本食のレストランは割高である。これは仕方のないことだ。緑茶をじっくりと味わった後、テーブルにチップを置きカウンターのレジで清算をしてその店を後にした。一応この店でも現金を得るためにトラベラーズチェックで清算をしておいた。トラベラーズチェックは大抵の店で使用ができるが、やはり現金も持っておいた方がいろんな意味でいいに越したことがない。ロッキーを出発してから現金の持ち合わせがほとんどなくなり、ちょっと不安だったのでなるべくチェックで清算をしてそのお釣りを現金化することでバランスを保つことにした。

 店内では禁煙だったので、外に出て食後の一服を楽しんだ。ちなみにここの店のすぐ近くにカジノも隣接されていた。宿に戻る途中で雨がポツリポツリと降り出し、ついた頃に本降りになってしまった。宿の前はなんだか人がいてにぎやかであった。一階にあるパブが営業されていたからであった。

 部屋に戻ると、感じの悪いドレッドヘア君はおらず、一人のガタイのでかい青年がいた。「やあ。」と挨拶をすると彼も「やあ。」と返してきた。彼の荷物をみると、どうも自転車で旅をしてるようだった。サイドバックが2つ部屋のあるテーブルに置かれていた。
「自転車で旅をしてるんですか?」
と尋ねると、彼は、
「そうです。」といい俺に握手を求め自己紹介をしてきた。早口で自己紹介をされたので、名前は今となっては忘れてしまったが、イギリスからやってきたそうだ。これからバンクーバーアイランドを自転車で旅をするということであった。俺も8年前にロッキーを自転車で旅したよというと、非常に驚いてどうだったと感想を述べさせられた。あまり詳しくいう英語力もないので、
「いや~すばらしかった。君も機会があったら是非行ってみてください。」とだけいっておいた。その後彼は今ここについたばかりなので、
「先にシャワーを浴びていいか?」とわざわざ俺に断りを入れてきた。
「どうぞどうぞ、次俺も使うから。」といっておいた。ホステルなので、共同トイレと共同シャワーというのが普通だ。ここのホステルは各ドミトリーの部屋毎に設備されてるようだ。彼が浴びたあと、俺もシャワーを浴びた。一応貴重品類もシャワールームに持ち込んでおいた。シャワーを浴びて部屋に戻ると先ほどの自転車で旅行してる青年はどこかに出かけてしまったのか誰もいなかった。

 一人でぽつんと息苦しい部屋にいるのもつまらないので、一階のパブに行きビールでも飲むことにした。店内はガンガン音楽がかかりまくり、ちょっとうるさかった。ビリヤードも置いてある。客層は白人と先住民系が半々といった感じであった。カウンターに行ってKokaneeのボトルビールを一本オーダーをした。壁際の端っこに空いてるテーブルがあったので、そこに腰掛けてタバコを吸いながら、他の人がやってるビリヤードを眺めた。すぐ近くでは先住民系のグループがぐでんぐでんに酔っ払いながら騒ぎまくっていた。俺はビール一本を飲み干した所でちょうどほろ酔い気分で酔っ払ってきた。もうビールだとおなか一杯状態だから、ジム・ビームのバーボンとジンジャーエールを混ぜたものを注文した。再び席に戻り、ぼんやりしてると、一人の酔っ払った女性が話し掛けて来た。
「ねぇ、タバコ頂戴。」
「あぁ、いいよ。」と一本くれてやった。
「名前は?」
「B-Yだよ。」
「どこから来たの?」
「日本から。君は?」
「ダンカンから。」
ダンカン?なんだか聞いたことのある名前だなと思い、手元にあったガイドブックを広げたらここナナイモからバスで1時間ちょっとの距離にあるところだ。カウチンセーターで有名なカウチン族の居留区に近いところでもある。町にはトーテムポールが数多く立ち別名「トーテムポールの町」とも言われている。
「ダンカンってここ?」
と俺はガイドブックを広げて指をさした。彼女は、
「そうそう、ここよ。」と言った。日本語しかかかれてないガイドブックを見てわかるというから、
「日本語わかるの?」と聞くと、
「わかんない。私がわかるのは英語とナナイモ語だけ。でもこの写真は知ってる。有名よ。」と彼女は壁画のある観光案内所の写真を指差した。なんだ、写真で理解したのか。その後彼女は俺の隣に座り、ぶつぶつと勝手にしゃべりだした。何をいってるのかさっぱりわからんので、無視してたら。どこかに行こうと席を立とうとした。しかし泥酔状態なので、足元がふらついていつ倒れてもおかしくない状態だ。
「おいおい、大丈夫か?」
「うーん、大丈夫。最後にもう一本タバコ頂戴。」といいもう一本あげると、店の中にいる男性にあちこち声をかけながら、その内いなくなってしまった。あんな泥酔状態でちゃんと戻れたのだろうか今となっては知る由もない。

 0:00近くなってきたので俺も段々眠くなってきたので、部屋に戻ることにした。明日は8:30のバスに乗らなければならないから、ここを7:30に発とうと考えたので寝ることにした。部屋に戻ると電気は消され、真っ暗であった。既に寝てる人も居たので、俺は物音を立てずこっそりと自分のベッドに戻った後、寝ることにした。
(つづく...)

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