7/28カナディアンロッキードライブ1
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*7/28カナディアンロッキードライブ1(曇り時々晴れ所によりにわか雨)*

 カナダの朝は早い。昨日は遅くに寝たのであるが何故か朝の5時に目が覚めてしまった。どれどれ、ロッキーの朝焼けでも見てみようとテントの外にでてみると、外はどんよりと曇った空であった。


キャンプ場の朝。周りはキャンピングカーや大きなテントだったけど、俺だけバイク用の小さなツーリングテントでした。

朝からあいにくの曇り空。朝日に照らされるロッキーの山々を見たかったが残念。しかしここのキャンプ場とても広いんだけど、設備は最低限のものしかなく、車が通ると砂埃が思いっきり舞い、なんだか荒地のような感じでした。



 周りのキャンパーはまだ寝てるのか結構静かな雰囲気であった。ミネラルウォーターを飲みながら、タバコを吸ってると、一人の女性がトイレットペーパーを持ってトイレに向かって歩いてるのがみえた。しかもその姿がTシャツにパンティ姿というなんともまあ目の保養にはありがたい姿である。海外に行くと意外とこういった光景を目にする。キャンプ場では初めてであるが、ユースとかに泊まってると、平気でそういった姿で堂々と廊下を歩いたりしているのだ。逆にみてるこっちの方が恥ずかしくなったりしてしまう。先日泊まってたジャスパーのユースでも隣で女性が堂々とブラジャー姿で着替えていたりするのだ。

 しばらく外に出てたら、俺もくそがしたくなってきたので、キャンプ場のトイレに入った。しかし、なんともまあ、きたないトイレだ。木の箱みたいなところに穴があって、その穴の周辺に便座が置かれていた。思わず便座に尻をつけたくない心境にかられてしまった。でもそんな器用な事はできないので、便座除菌クリーナーで拭いて、用を足した。カナダでのキャンプは以前もしたことがあったが、その時は水洗だったのでとてもきれいだったのを覚えている。

 結局若い姉ちゃんのパンティ姿は拝めたが、朝焼けは見ることができなかったので、もう一度テントの中に入り二度寝をすることにした。

 再び目がさめると8:00を少し過ぎていた。周りのキャンパーもとっくに起きだし朝食の準備にとりかかっている。テントから出ると、その朝食のコーヒーやソーセージの匂いがぷーんと漂ってきてたまらなかった。そそくさと、テントの中の荷物を車の中に放り投げ、テントを撤収することにした。今日もキャンプをする予定だったから、テントはきちんとたたまず適当にたたんでトランクに中にぶんなげておいた。車だと収納スペースがたくさんあるから、あっという間に片付けることができた。これがバイクや自転車だと、細かく撤収しなくてはならないから色々と時間がかかってしまうのに比べて非常に楽である。最後にポンプで水を汲む水場で歯を磨いて、出発することにした。

 ジャスパーのダウンタウンに立ち寄って、マクドナルドで朝食を買ってきた。ついでにシャワーを浴びようとコインランドリーに行ったが、管理人がいないので諦めた。ここジャスパーのコインランドリーはコインシャワーも併設されているので、シャワー設備のないキャンプをした時に利用する事ができる。ちなみに今回満杯であったウィスラーキャンプ場にはシャワー設備がある。最後に銀行に寄ったが、土曜日であるためトラベラーズチェックを両替することができなくて残念であった。現金の持ち合わせがだんだんと心細くなってきたので、心配であったが...。なるべくカードで清算することにしよう。車の中で、買ってきた朝食を済ませ、再び出発した。

 ジャスパーを出る前にガソリンスタンドに寄って、給油をすることにした。昨日のドライブで半分くらいしかなかったからだ。これからドライブするアイスフィールドパークウェイでガソリンスタンドがあるところはサスカチュワンクロッシングとレイクルイーズのみである。残り半分でも多分間に合うと思うが、用心には超したことがないので、満タンにしておくことにした。山の中でガス欠で立ち往生だけはしたくない。

 カナダのガソリンスタンドはほとんどがセルフサービスだ。日本でも最近はそういった店が増えてはきているが、俺は今までセルフでの給油をしたことがないので少々不安であった。とりあえず車を給油機の横に停めて、近くにいた店員にやり方を聞いてみると、
「まず、タンクのキャップを開けて、87のボタンを押して、ノズルをタンク口の中にいれればいいよ。」と早口まくし立てられた。もう一度質問しようとすると店員は店の中に入ってしまって誰もいなくなったから、その早口で言われた内容をに思い出しながら適当に行うことにした。給油機のメーターは前の人がいれたと思われる数字がそのままで一向にリセットがされる気配がないので、このやり方でいいのであろうかと不安になったが、ノズルを給油機から離すと「ガチャン」と音をたて、メーターは無事リセットされた。あとはノズルを給油口に突っ込みレバーを引けばガソリンが出てくる。満タンになればノズルのセンサーが働き自動的に止まる仕組みだ。最初は不安であるが、一度やってしまえば実に簡単な内容であることがわかった。ガソリンを満タンすると、レジに行って、自分の給油機の番号を店員に申告して金を払って終わりだ。清算する前に、タバコとコーヒーもついでに買っていくことにした。コーヒーは日本みたいに、自販機があるのではなく、いくつかのポットが置いてあり、紙コップにそのポットから注いでレジで清算する仕組みであた。もちろんポットの周りには砂糖、ミルク、クリームなどが置いてあり、自分の好みに合わせて入れる事ができる。「フレンチバニラ」という名前があったので、それにすることにした。コップのサイズはスタバのグランデサイズと同じくらいな奴を選んでしまった。ちなみにガソリン大は23リットルで18ドル。レートを1ドル80円で換算すると、リッターあたり62.6円の値だ。うーん、安い。

 ガソリンも満タンにしたので、いよいよ本格的に出発である。ダウンタウンを抜けると国道93号線(アイスフィールドパークウェイ)と国道16号線の交差点にぶつかる。ここには珍しく信号が置かれている。そしてこの交差点にはこうした信号待ちの車をあてにしたヒッチハイカーたちのメッカでもある。ダンボールの切れ端にマジックで「BANFF」と書いてあったり、親指を立てて突っ立ってる人たちと様々だ。一人のヒッチハイカーが俺の方をみて、大きな声で叫びながら必死で訴えているのがみえた。多分一人で運転をしているからであろう。乗せてやりたいのは山々であったが、今日は適当に行き当たりばったりに行くつもりだったから、心の中で「すまぬ」とつぶやいて彼らを素通りすることにした。仮にどこまで行くのかと聞かれても、答えようがないのだ。

 アイスフィールドパークウェイに出たけど、空は曇り空で、イマイチ景色が良くない。1994年に自転車でここを走ったときも、最後のアサバスカ滝からジャスパーまでの区間は雨であったから、その時楽しめなかった景色を今回で取り戻そうとしたが今日は残念ながら諦めるしかなさそうだ。

 ここアイスフィールドパークウェイはジャスパー〜レイクルイーズを結ぶ全長230kmの観光道路だ。1930年の初め頃に失業者救済対策として建設がはじまり、1940年に開通。道路の設計にいろんな配慮がなされ、景色のいいポイントには標識が立ちきちんと車が止まれるスペースも確保され、ところどころにはピクニックテーブルも完備されている。基本的に片側一車線の計2車線の道路であるが、登坂車線もところどころにある。一車線の幅も広く、路肩も車一台分泊まれるくらいのスペースが確保されている。有名な観光名所はジャスパーから、アサバスカ滝、サンワプタ滝、コロンビア大氷河、ペイトレイク、ボウレイク、レイクルイーズとなっていて、その他大小さまざまな観光名所もあちらこちらに点在している、まさに観光名所の濃縮還元的な道路だ。しかもそのほとんどが道路沿いに点在している。景色の他にも、野生の動物に出会える事もできる。キャンプ場やユースも多数点在しているので、アウトドア志向であるなら、これほど充実した場所はない。信号もないから、高速道路みたいな感じだ。

 昨日はアサバスカ滝まで行ったからそこまでの区間はノンストップで走り去った。車だから、FMラジオを聞きながらドライブを楽しんだが、30分もすると電波が入らなくなり聞こえなくなってしまった。時々、自転車にたっぷりと荷物を積み込んだチャリダー達が走っているのが見えた。ここは世界中のチャリダーのメッカであるため、ジャスパーもしくはバンフから自転車で走破する人たちがたくさんいる。自分も8年前は同じように走ったので、なんだか懐かしくなってきた。なので、一人一人追い抜いたり、すれ違う時は心の中で敬意を表しながら運転をした。

 この道路、他の車はものすごいスピードで走りさっていくのが多い。基本的に90km/hであるのだが、周りは110〜120km/hで走ってるのが普通だ。俺としては景色や野生の動物の発見に力をいれていたので、制限速度厳守で走行をしていたから、いつも後ろから煽られまくって、ちょっくらストレスを感じてしまっていた。こんな時はキャンピングカーの後ろにある程度の車間距離をとりながら走るのがいい。彼らの車も結構遅く走っている。先頭に車がいると、後ろから煽られてもあまりストレスは感じないから、なかなかいい戦法だと思う。

 しばらくそんな風にして走ってると、「バブルズポンド」と書かれた標識が見えてきたので寄ってみることにした。名前の通り、泡のでる溜池だ。地獄谷温泉みたいにぶくぶくと泡が出まくってる池かと思ったら。全然たいしたことがなく拍子抜けしてしまった。ただの湧き水でできた。小さな池で、ときどきぷくぷくと小さな泡がでてるだけの池であった。説明版をよんでみると、山の雪解け水が地中に流れ込んで、それが何年かもしくは何ヶ月かしてから地表に湧き出てくると書いてあった。


これが「バブルズポンド(泡の池)」。みての通り小さな池です。湧き水がたまっただけの池でした。

下からぷくぷくと小さな泡がでています。


アイスフィールドパークウェイを爆走中。片側一車線の道路ではあるが、道幅は広くおまけに路肩も車が一台停まれるくらいのスペースがあって結構広く感じる。
  道路は緩やかな勾配をアップダウンしながらの地形から平坦な道に変わっていった。
この平坦な川沿いの道路を走り去ると、急な上り坂になり、コロンビアアイスフィールドにでるはずだ。

 俺の記憶ではこの平坦な道が終わると、一気に急な坂道に出くわすはずであった。その坂道を登りきるとあのコロンビア大氷河がある。タバコが吸いたくなったので、道路わきのビューポイントに止めることにした。ビューポイントの目の前はサンワプタ川が流れていて、その向こうには灰色の岩肌の上に氷河が被さった山々が連なっていた。


サンワプタ川。川の色は青白い。写真ではガスってて見えないけど、氷河が覆い被さった山々が連なっていた。


  川の色は氷河の雪解け水の為、青白い色であった。しばらく、景色を眺めていると自転車で旅をしている一組のカップルが現れた。自転車の荷台に小さな黒・黄・赤の国旗を掲げていた。
「ドイツから来たんですか?」
と尋ねてみると、
「いや、ベルギーだよ。」
と彼らは答えた。よく見ると色がよこしまになっているドイツの国旗は縦シマだ。
「ジャスパーから旅されてるんですか?」
「いや、アラスカからだよ。」
「アっアラスカ〜。すんげー遠いところから来たんですね。」
彼らはアラスカからずっとここまで自転車で旅をしてるそうだ。しかも最終目的地はアメリカのカリフォルニアだという。この先あとどのくらいかかるか本人達もわからんといっていた。長旅の割には自転車に積んでる荷物はきちんとまとめられ綺麗にパッキングされていた。彼らのバイタリティさには本当に脱帽だ。俺も過去国内外自転車で旅をしたことがあるから、その辛さ大変さという気持ちは痛いほどわかる。俺からみると彼らの行動はとても羨ましい。自転車の旅はほとんどが苦労の旅だ。でもその苦労を味わってしか得られない喜び、充実感や感動というのがある。人によってはなんで自転車で旅をするのと疑問に思う人もいると思う。それはそれでいいと思う。旅のスタイルなんて人それぞれだからだ。要は自分達が楽しいと思えばなんだっていいと思う。
「俺も8年前にここを自転車で旅をしたんですけどね。今回はレンタカーでもう一度旅をしてるんです。」
というと彼らは何かここの情報が聞きたいというので、この先にあるサンワプタ峠とボウ峠が難所だと教えてあげた。お互いに旅の幸運を祈って、彼らは先にここを後にした。しばらくして、俺も車に乗り出発をした。すぐに先ほどのチャリダーを追い抜いた。追い抜く際に窓から思いっきり手を振ってあげたら彼らも喜んでそれに答えてくれた。

 道はやがて、急な上り坂に入った。ここにもビューポイントがあり、最初にTangle Fallsがある。


これがTangle Falls。滝の対面の道路には駐車スペースと簡易トイレも常設されている。人気があるのかわからないが、意外と多くの人たちが集まっていた。


 道路脇の崖に滝があるのだ。レンタカー屋でもらった地図をみると、ビッグホーンシープがよく現れると書いてあったが、俺が行った時には何もいなかった。次のビューポイントはサンワプタキャニオン。


サンワプタキャニオン。ジャスパー方面からだとサンワプタ峠を登る途中に右側に駐車するスペースがある。下を見下ろすとサンワプタ川が流れている。

サンワプタキャニオンから見えた。氷河に覆われたとある山


 恐らく氷河が削ったであろう地形で、目の前にはコロンビア氷河の一角がみえる。下は深い谷底でサンワプタ川が流れていた。

 ここから再び道路に出たのだが、またやってはいけないことをやらかしてしまった。右側走行のところを日本と同じ感覚で左側走行をしてしまったのだ。しかも気づいたのが対向車が来てから気づくという体たらく。幸い交通量が少なかったので、即座に右側走行に切り替えたのではあるが...。最初、前から車が来た時に、なんで俺と同じ車線を走ってるんだろうと疑問にまで感じるというボケだ。慣れというのは誠に恐ろしい。海外特に日本とは逆の右側走行の場合は右折左折の際は何が何でも神経を集中しなくてはならないとつくづく思い知らされてしまった。

 急な勾配から緩やかな坂道に変わると、交通量が極端に多くなってきた。それもそのはず、カナディアンロッキーのもっとも有名な観光スポット、コロンビア大氷原の一角である、アサバスカ氷河に到着をした。ここはスノーコーチ(雪上車)に乗って氷河の真上に立つ事ができるツアーもある有名な場所だ。もちろん、車から降りて、氷河の最先端に行くこともできる。まずは氷河の最先端を見る為に、一旦右折をして氷河の最先端を見に行くことにした。


氷河の先端。1994年に来た時はクレバスで割れ目が沢山あったけど、今回はフラットな感じになってました。以前は氷河の上に登るのは禁止だったけど今は柵内であれば登るのもOKとなっています。


1994年に訪れた時の氷河の先端。クレバスだらけでした。氷河の上に登ってはいけないのだけれども、誰もが無視して登ってました...

氷河の上に登る人を考慮して、安全上人為的に整地してような感じがする。



 駐車場について車から降りると、もの凄く寒かった。風が強いから、余計に体感温度が下がるのがわかる。雨もぱらついていたので、ざっくの中からレインウェアを取り出して着ることにした。駐車場の目の前は氷河が運んできたであろう、土砂がこんもりと丘のようになっていた。
駐車場から氷河の先端まで行く途中に、見学に関する注意事項が上記の写真のように、いくつも立てられている。これは子供がクレバスに落ちた場合、子供の体力のなさとまわりが氷の為気温も低くすぐに体温と体力が奪われ死に直結すると書かれていた。あとクレバスに落ちた時の救出は困難を極めるらしい。一歩間違えれば楽しい旅行も悲しい出来事になってしまうのだ。
  そこから氷河の先端までテクテクと歩いていくと、道脇に氷河を見学するにあたっての注意事項の看板みたいなものが図解入りでいくつも置かれていた。大体はクレバスに落ちるとこうなるよという内容であった。クレバスの深さは深いところになると30m位あるらしく、大抵は途中で引っかかるらしい。しかし救出は困難を極め、しかも周りは氷だらけだから、気温も低く体温の低下によってやがては凍死してしまうと書かれていた。そんな標識を一つ一つ眺めながら、歩いていくとようやく氷河の先端にたどり着いた。氷河は遠くから見てると真っ白といった感じであるが、間近でみるととても汚い。まあ、いろんな土砂などを削り取ってきたから仕方がないことではあるが。8年前に来た時は、氷河の上を歩くのは禁止となっていたが(でも当時はほとんどの人が、これ見よがしに登っていた)、今回は柵で囲まれたところであるならば、歩くことが許可をされていた。しかも8年前の時と比べると、クレバスは安全性の為に埋め立てられたのか、たまたま無い状態なのかわからなかったけでど、ひび割れたような切れ目はなく、フラットな感じになっていた。氷河の表面は滑りやすいのかとおもったけど、ざらざらした感じで逆にそれが滑り止めとなり、心配してたほど滑らず簡単に登っていくことができた。別にアイゼンなどなくても普通のスニーカーで登れることができる。とりあえず登れるところまで歩いて行き、しばし黄昏た。この大氷原の一角であるアサバスカ氷河の長さは約5.3km。先端にたどり着くまでは、なんと800年以上の年月がかかるらしい。800年前というと1202年。日本では鎌倉時代。世界史でみるとヨーロッパでは第4回十字軍の遠征(1202年)、中国ではチンギスハンが即位(1206年)などなど。そう考えると、とてつもない時間を掛けて流れてきた氷の上に立つのは、とてつもない行為のように感じてしまった。

一応氷の上ではあるが、普通のスニーカーで登ることができる。アイゼンはいらない。表面はザラメのようにざらざらしている。でも走ったり飛び跳ねたりはしないほうがいい。


 それからこのコロンビア大氷原はカナダの大陸分水領となっていて、この溶けた水がいくつもの川と合流し北は北極海、西の太平洋、東の大西洋へながれつくという。


見下ろすとこんな感じ。結構斜度があるので、登る時よりも下る方が神経を使ってしまう。まあ慌てず慎重に降りていけば大丈夫です。


 しばし、この氷河の上を堪能した後適当に写真をとりながら慎重に降りていった。途中、写真をとってくれたサスカトゥーンから来たおっさんと会話をしてたら柔道の選手に間違えられてしまった。柔道なんか生まれてこの方やったことはないのだが、どうも俺の体格と日本から来たということでそのおっさんは、そう思ったらしい。まあ、相撲レスラーと言われるよりはましであるが...。

 ちなみにこのアサバスカ氷河にはハイキングツアーもあり、パークスカナダのレンジャーが引率するのであれば、柵から外れて更に上流の方まで行くことができる。


道路をはさんだアイスフィールドセンターから眺めたアサバスカ氷河。


 車に戻って、アイスフィールドセンターに向かった。前回来た時は乗ることが出来なかったスノーコーチに乗るためだ。センターの脇にある駐車場に車を停めて、チケットカウンターに向かった。カウンターで大人一枚と告げると、スタッフは空きのある時間帯を教えてくれた。一番早くて1時間後であったので、それにすることにした。ついでに日本人か韓国人か中国人とも尋ねられた。時間帯によって、それぞれの通訳のできるガイドも同乗するらしいのだ。日本人と言うと「あら、あなたラッキーね。この時間のツアーには日本人ガイドも同乗するのよ。」
といわれた。このスタッフ俺が日本人だとわかると、どこで覚えた日本語だかしらんが、
「オゲンキデスカー。」と言ってきた。笑いながら、
「元気ですよ。Ogenkidesuka means how are you.」と答えると、そのスタッフはその日本語しかしらんのか、ずっと
「オゲンキデスカー。オゲンキデスカー」と言ってくる、しかも周りにいた、他のスタッフまで面白がって俺に「オゲンキデスカー。」と何度も言ってきやがった。周りの客は何事かといわんばかりに俺の方を注目し晒し者のような感じになってきたのでなんだか恥ずかしくなってきた。
「わかった。わかった。じゃあね。」と言ってその場から逃げるようにして立ち去ることにした。

 集合時間になると館内のアナウンスがあるので、それまでは土産物屋に入り浸って時間を潰すことにした。やがてアナウンスが入ると、指定されたバスの停留所まで行き並ぶ事にした。

 スノーコーチのツアーは最初、バスに乗って氷河の近くまで移動をする。バスのドライバーは運転をしながら英語でいろんな説明をし、客からの質疑応答を行っていた。しかし日本人のガイドが乗るといっていたが、日本語らしき声はさっぱり聞こえてこなかった。15分位して、バスからおろされた。ここからスノーコーチに乗り換えるのだ。スノーコーチは、トラクターのような馬鹿でかいタイヤを装備していた。昔はキャタピラだったらしいが、氷河の後退に影響してるため政府から雪上ツアーの廃止要請がでたが、各国からのツアー存続要請の為、キャタピラからタイヤに変えることを条件にツアーの存続が認められるようになったといういきさつがある。ちなみに、その時のキャタピラ仕様のスノーコーチはこの乗り換えのところに1台だけ、置いてあった。

 スノーコーチに乗り込み、いよいよ出発だ。ドライバーは女性。発進しはじめると、車内でどよめきが起きてきた。目の前の道路の先が見えないのだ。つまりものすごい斜度の下り坂ということである。おいおいこんな坂道を下って大丈夫なのかよ、と恐怖心が湧いてくるような坂だ。ドライバーはマイクを通して、元気よく乗客に注意事項を伝えてきた。
「さあ、これからものすごい下り坂を下るから、みんな、シートベルトをしめて!」
この言葉を聞いて、俺を含めて乗客は慌ててシートベルトを探しまくった。しかしいくら探してもそんなものは見当たらない。坂道はすぐそこまで近づいてきている。そんな困惑をした乗客を尻目に、そのドライバーは
「ははは冗談よ。大丈夫だから安心して。」
確かに下ってみると、全然大丈夫であった。ちなみにこのシートベルト発言は、このドライバーに限らず全てのドライバーが言ってるお決まりのセリフらしい。スノーコーチのスピードはとてつもなく遅くゆっくりと進んでいった。


これがスノーコーチ(雪上車)。


 やがて、ブルドーザーか何かでフラットにされた氷上に着き30分の自由行動となった。スノーコーチから降りると、先程氷河の先端に行った時以上に風がつよく寒かった。天候の変化もガスったり晴れたり雨がぱらついたりと、忙しく変わりまくる。周りは雪の色で真っ白だから、太陽の照り返しが強くサングラスがないとまぶしくて仕方がない。近くにいつも間にいたのか日本人のガイドがいることに気づいた。彼は他の日本人客にいろいろとここの氷河の説明をしていた。傍らから聞こえてくる彼の説明を聞いていると、今たっているところは氷の厚さが300m位の所だそうだ。位置的には300年前。ちょうど産業革命が起きた頃の氷河だそうである。
氷河の雪解け水。川の水とは違って透き通っていてきれいだった。一応のめるとの事。手にすくって飲んでみたら、とても冷たかった。悠久の歴史を感じさせる味であった。
近くに雪解け水が流れていたので、飲んでみることにした。当たり前だが冷たすぎ...。一応氷河の水はのめるらしい。ただ、不純物が多く入っているから、あまり飲みすぎると腹痛を起こす恐れがあると言われている。日本人ガイドは、この水が産業革命の時の水ですよと言っていたが、実際は去年あたりの雪解け水も混じってるだろうと夢を壊さんばかりの妄想を抱いてしまった...。

コロンビア大氷河の一角であるアサバスカ氷河。どーんと押し寄せてくる感じだ。
アサバスカ氷河の両脇にそびえる山にも氷河がありました。


 30分という時間はあっという間に過ぎ、出発の時間になったので、スノーコーチに戻った。ドライバーは相変わらず陽気で、マイクを用いながら、
「さあ、帰りは全速力で戻るから。みんな、しっかりつかまってて!。用意はいい。!」
「おー!」と乗客は一斉に声をあげた。しかし発進すると、スノーコーチは行きと変わらず時速15km位のノロノロ運転であった。
「これが全速力よ!」
ドライバーがそう告げると車内は爆笑の渦になった。このドライバー、なかなか乗客を楽しませるつぼを得ている。

 再び、乗り換え場所でバスを待つこととなった。乗り換え場所は吹きさらしな所なので、とても寒い。一人のスタッフがこのコロンビア大氷原のリーフレットを配っていた。確か日本語のリーフレットもあるはずだから、「日本語のやつある?」と尋ねると、日本人ガイドが全部持っていってしまったと言われ、おのれこのガイドめ一人で全部がめやがってと一瞬むかついたが、よくみるとそのガイドは日本人客に対してきちんと配ってることがわかった。俺も彼のところにいって、一部もらうことができた。バスが来るまでしばらくそのガイドと話をすることにした。ガイドはいろいろお薦め場所を教えてくれたが、ほとんどが既に行ってきた場所であった。これから向かうレイクルイーズについての情報をもらいお礼を言っておいた。

 再びバスはアイスフィールドセンターに戻った。ここは宿泊施設、レストラン、土産物屋と氷河に関する博物館が備わっている。博物館のところには大きな大氷原をあらわすジオラマが置いてあった。他にもいろいろと氷河に関する写真等も展示されている。とりあえず見に行ったが、当然のことながら解説文が全て英語なので、あまり真剣に解説文を呼んでると疲れ果ててくるからさらっと流すことにした。ここで印象に怒ってるのが、氷河の移動の映像。1日分の移動した距離を短縮でみれるのだが、10cmしか移動しないとの事だ。最後に一言感想を書く分厚いノートが置いてあったので。「It's cool!Great!すげぇよ!すばらしい!」と英語と日本語を交えて記載しておいた。


1844年の頃には、目の前の道路のところまで氷河が来ていたそうだ。ずっと以前だとここからエドモントンまで氷河が続いていたらしい。
で、現在の氷河の後退具合。年々氷河は後退していってるそうだ。
アイスフィールドセンターからみえた氷河。名前はわかりません。


 ここで3時間以上も時間を費やしたので、そろそろ出発することにした。

(つづく...)

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