7/21ドーソンクリーク〜エドモントン(バス移動)
[HOME] [自己紹介] [エッセイ目次] [旅行記目次] [2002年カナダ旅行記目次] [掲示板]
<<戻る   次へ>>
*7/21ドーソンクリーク〜エドモントン(バス移動)晴れ*
 ああ〜、バス旅はもう嫌だ。眠い、疲れる、気が狂いそうだ。20時間以上バスという密室に閉じこめられると、精神的肉体的にハードである。カナダの旅を準備していた頃は、長距離バスで車窓の景色を眺めながらのんびりと、甘い理想を抱いていたのだが現実はそうではなかった。無論、ホワイトホースからエドモントンまでのバスが初めてではない。バンクーバー〜ピンチャークリーク、サスカトゥーン〜ホワイトホースまでのバス移動で既にハードさを経験しているのであるが。3度目となる今回のバス旅は慣れるどころか余計にきつくなったという感じしかない。おまけにまだ朝8:00だというのに、ドーソンクリークはとても日差しが強くて暑い。今日の目的地はアルバータ州の州都であるエドモントンまで行かなければならない。ドーソンクリークから、またさらに10時間近くバスに乗らなければならないのだ。そんなことを考えると、気絶しそうなくらい気が滅入ってしまった。

 エドモントン行きは9:00発なので、時間がたっぷりあるから、ディーポのトイレにある洗面所でまずは歯を磨いた。口の中がすっきりし、多少は目がさめた気がしてきた。一緒のバスだったWさんも俺と同じくエドモントンまで行って、ユースに泊まるといってた。彼女は旅慣れてるから、さっさと宿の手配をこの休憩時間の間にすませてしまったらしい。まだ俺はこの時点で宿の手配を行ってなかった。いきあたりばったりで飛び込みで宿に出向いてもいいが、この時期はエドモントンでクローンダイク・デイズというゴールドラッシュ再現のお祭りが開催されている。こんな時期は人がわんさかやってくるから、ホテルの満室はどこも予想されるからとびこみで宿を探し回るのは一苦労だ。途中グランドプレイリーというところで食事タイムの時間があったので、そこで電話をかけて宿を予約することにした。公衆電話に25セント硬貨を2枚ほどぶち込んで電話をかけたが、わけのわからん説明がいろいろと流れてきた。「0」や「1」を押せとか、おまけに俺のかけるところは遠いからディポジットとしてさらに2ドルを追加しろと、受話器の向こうからテープの音声が流れてくる。何回もやり直したが、試行錯誤を重ねてようやく、電話がつながった。まず電話をしたのがymcaという宿、地図で見るとディーポから2〜3ブロックしか離れてないので、ものすごい好条件だったからだ。しかし電話にでたスタッフは冷たく事務的に「満室です。」といって切られてしまった。ほんの10秒間しかしゃべってないのにディポジットの2ドルは戻ってこなく、電話代で2.50ドルも使ってしまった。たけぇなー。その次はユースホステルに電話をかけた。ここはすんなりとベッドを確保することができた。とりあえず2泊することにした。1泊ではこの、気が狂いそうなバス旅の疲れをいやすことができないだろうと思ったからだ。

 バスはエドモントンに近づくにつれ、だんだん混み始めてきた。しまいには満席となり、2列シーツも独り占めできなくなってしまった。景色は相変わらず単調であまり面白くもなく、ウォークマンで音楽をひらすら聞いていた。

 19:20にバスはようやくエドモントンに到着をした。気が狂いそうなバス旅からやっと開放されて、俺は背伸びをしながら安堵についた。正直二度とグレハンにはのりたくないという心境だ。過去の経験から踏まえて、バス旅はせいぜい8〜10時間ぐらいが俺にとっては限度だ。あまりにも疲れ果てたので、ディーポの待合室のベンチでしばらく放心状態になって体を休めることにした。動く気力がないのだ。20分位してようやくユースへ向かうことにした。ユースはダウンタウンにはなく、市バスに20分ほどのらなければならない。ガイドブックにはグレイハウンドのディーポからユースへ行くには101stから#7か#9のバスに乗って82aveと109stの交差点で下車とかいてあったから、まずは101stに向かって歩いていった。ディーポから東へ2ブロックほど行ったところにバス停があった。

 エドモントンという街は近代的な超高層ビルが立ち並び、久々に街といった感じがした。ここエドモントンはアルバータ州の州都で人口が約920,000人の都市だ。かつてはゴールドラッシュでユーコン地方へ金鉱を見つけに行く人たちの北のゲートウェイでもあった。今はカナディアンロッキーのジャスパー国立公園に行く為の玄関口となっている。産業は以前は毛皮の交易や金の採掘で賑わったが、戦後に石油が出ることわかってから大きな発展を遂げた。現在でも2300あまりの油井があり、カナダの産油量の10%を産出しているとの事だ。

 バス停に到着するとすでにWさんが居た。彼女はホワイトホースにくる前に、一度エドモントンのユースを利用してるから場所がわかるというので、一緒に行くことにした。バスに乗りむと運転手が
「君たちはユースまで行くのか?」
と聞いてきたので、そうだというと降りる場所を教えてやるから、そこに座ってなさいといわれた。ずいぶん親切な運転手だ。20分程で近くの停留所についた。バスの運転手は指で、ユースの場所を説明してくれたが、よく聞き取れなかった。バスを降りるとWさんは晩飯用の食材を近くのスーパーで買出しをしていくというので、いったん別れた。ユースのガイドブックの地図を頼りに一人で向かっていくことにした。地図は簡易的であったが、ストリートとアベニューがきちんと書かれているから、迷わずユースにたどり着くことができた。ユースは82アヴェニューと107stの交差点を左に曲がり2ブロックほどしたところに存在していた。82アベニューはにぎやかな通りであるが、そこから裏に入ると閑静な住宅街になっていた。ユースも木々に囲まれた静かなところにひっそりと立っていた。

 ユースの受付に行き名前と予約番号をスタッフに告げた。カードキーとベッドの番号がかかれたカードをもらって、部屋に向かった。部屋に荷物を置いて速攻でシャワーを浴びにいった。シャワーを浴びた後、ユースの中をうろうろと歩き周った。どんな設備があるか知りたかったからだ。ここのユースは1998年の7月にオープンした比較的新しいユースだ。キッチン、ランドリー、ビリヤード、レンタルサイクル、などの設備が整ってる。もちろん全館禁煙だ。タバコを吸う時は、裏庭の指定場所で吸わなければならない。ラウンジはとても広く、有料のインターネットも完備されている(1ドル/10分。日本語不可。)


これが有料インターネット。料金は場所によってまちまち(大体10分〜15分/1ドル)。マウスはなく、キーボードの右下にある四角い白い所を指でなぞってカーソルを移動させる。バスのディーポ、ユース、ホテルなどにある。(写真はバンクーバーのYMCA)

 ちょっくら街をぶらついてみることにした。ユースはダウンタウンの中心から外れてはいるが、すぐ近くにある82ave(別名WHYTE.AVEともいう)沿いは、結構おしゃれなレストランやパブなどが揃っておりにぎやかな通りだ。ライブミュージックの聴けるパブも多数存在している。ユースのカウンタの近くにはスタッフのお薦めのライブミュージックの聴ける店を書いた手作りの地図が壁に貼ってあったのを思い出した。ロック、ブルース、パンクなんでもござれというくらい充実している。日本料理店もあった。街を歩いてる人は若者が多い。昔のヘルスエンジェルスみたいな、ライダー軍団もたむろしていた。一通り近辺の街並みを把握し、MACKSというコンビニで即席ラーメンとチリビーンズの缶詰を買って、ユースに戻ることにした。キッチンの冷蔵庫に自分の食材を入れるのだが、その際に袋に自分の名前とチェックアウトする日付を書かなくてはならない。自分の名前をいれるのは間違えのないようにとの事だが、チェックアウトの日付を入れるのは、日付の過ぎた後は、「フリーフード」となり誰でも勝手にもらうことができるシステムとなっていた。晩飯は相も変わらずインスタントラーメンとチリビーンズという簡単なものですませた。食器を片付けた後、Wさんがキッチンの隅でひとりぽつんと食べてたので、声をかけてみた。彼女もバス旅にほどほど疲れてたらしく、お互いにバス旅の愚痴をいいあった。まず、グレハンの不満点で共通してたのが、食事タイムの時の停車する場所だ。だいたい聞いたことの無いような小さな街、もしくは周辺になにもないような場所で食事タイムとなる。ディーポの中に売店みたいなものはあるが、売ってるものといったら、サンドイッチか菓子パン系それとスナック菓子しか置いてない。それに種類も少ない。長いバス旅の中で食事というのは俺にとって、唯一の気晴らしになる時間なのであるが、これではあまりにも面白くないのだ。もちろん大きな街になるとディーポ内にカフェテリアやファーストフード系の店がテナントで入ってるが、こういった街は出発地点か終着地点でしかない。アメリカのグレハンに乗ったときはマクドナルドとかで食事タイムをとったりしてくれた記憶があったので、カナダの場合だとちょっと不満になってしまうのだ。

 Wさんは、明日はウィニペグまで行くと言っていた。途中いろいろと寄りたいところもあるみたいだが、スケジュール的にきつくなるので、一気に距離を稼ぎたいといっていた。

 カナダやアメリカは国がでかい。1ヶ月という期間も、スケジュールの組み方によっては、とても短く感じてしまう事もありうる。1都市滞在であれば、のんびりできるであろうが、バスで大陸横断などを行う時は、へたするとただの移動だけになってしまう恐れもある。あれこれ欲張らずに効率よく予定を立てていくのが重要なポイントだ。訪問都市はできるだけ、抑えたほうがいい。それにバス移動は考えてる以上に体力を消耗する。特に夜行バスは宿泊代が浮いていいというのもあるが、翌日ついたときの疲労度といったらかなりしんどい。うまく自分の体力と照らし合わせていくのが望ましい。

 Wさんも疲れてるようだったので、キッチンでお互いの旅の安全を願って別れることにした。俺はまた、タバコを吸いに裏庭の喫煙所で一人ぼーっと寂しく時間を潰していた。Tim Hortnsのコーヒーを飲みながら、ニ人組みの青年がやってきた。彼らは俺に挨拶をすると、ここのコーヒーはうまいぞと言ってきた。Tim Hortonsは寄ったことはあるが、コーヒーはまだ飲んだことがなかった。それにドーナツ&サンドイッチ屋というイメージしかなかったので、
「Tim Hortonsは日本には無いので、あまりよくわかならい。スターバックスならあるけど。」
「スターバックス?それはアメリカのコーヒーだ。カナダに来たらTimだよ。」
「そうか、今度飲んでみるよ。(しかし、その後飲む機会がなかった。)」
二人組みの青年に頭をスキンヘッドにした奴がいた。彼は、昔の日本に興味があっていろいろと勉強したらしく、サムライとかニンジャとかの話をし始めた。武器にも詳しく太刀とかなぎなたまで知っていた。異国の地の人が昔の日本の話を聞くのはなかなか面白い。もう片方の青年はわけがわからず、サムライとかなぎなたの言葉がでると俺とスキンヘッドの奴に質問を投げかけてきた。
「サムライは昔の日本の戦士だよ。」
「なぎなたは槍のように長く、女性用の武器。」
その内、宮本武蔵まででてき、話は空手やカンフー、少林寺拳法、柔術に代わって行った。彼の話は多少中国とごっちゃになってる部分があったが、俺はだまって聞くことにした。カンフーの話で俺が、酔拳や蟷螂拳のまねをやったら、非常にうけがよく盛り上がってしまった。彼らも酔拳という言葉は知らなかったが、俺のものまでジャッキー・チェンの映画でやっていたのを思い出したようだ。彼らはしきりに「おー、チェッキー・チェンだ。」と叫んでた。最後は俺が彼らに簡単な日本語のあいさつを教えて、別れることにした。俺が眠くなったので、その場をはずれると、彼らは先程覚えた日本語で「オヤスミ!」といってくれて、なんだかとても嬉しかった。少しは日加の有効に役立てたかな...?

 部屋に戻ると、中は真っ暗で、みんな寝てたから物音を立てないようにしてベッドに潜りこんだ。

 明日は何をして過ごすかな?
(つづく...)
<<戻る   次へ>>
[HOME] [自己紹介] [エッセイ目次] [旅行記目次] [2002年カナダ旅行記目次] [掲示板]