7/20ホワイトホース〜ドーソンクリーク
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*7/20ホワイトホース〜ドーソンクリーク(アラスカハイウェイ)晴れ*
 今日はここホワイトホースを発つ日であった。朝食をさっさと済ませ、荷物の整理も終えておいた。後は出発をするだけだ。ホワイトホースからドーソンクリーク行きのバスは13:30発なので午前中はのんびりとできる時間があった。今朝もこの宿に新たな日本人がやってきた。彼は会社を辞め、南米、アメリカを旅してカナダに入り、これからアラスカ方面を目指すといっていた。スケジュールもほとんど適当で、日本にいつ戻るのかと尋ねたら、旅が飽きたら帰るといっていた。「飽きたら帰る。」なんて、なんとも羨ましい事だ。ある意味究極な旅かもしれない。旅に出ても時間、金、体力などに結構縛られることが多い。でも彼はそんな束縛をガンとして跳ね除けている。自分の行きたい所を好きな時に目指す。そして疲れたら、疲れが取れるまで休む。そしてまた旅にでる。こんな事は現代社会ではなかなか出来ないことだ。そんな出来ないことを彼は実行している。すごいことではないか。彼とデッキでしばらく話をした。南米は想像していた以上に怖いところで早く逃げ出したかったといっていた。彼からいろんな話が聞けてなかなか面白かった。ここホワイトホースは疲れを癒す為、とりあえず一週間位滞在するといっていた。余ってた食料があったので、全部彼にくれてやった。うれしそうにもらってくれたので俺的にも荷物を軽くする上で助かった。しばらく会話をしてると宿のオーナーがデッキの傍らでテントを組み立て始めた。よく見てみると、ここが彼の寝床になると聞いて驚いてしまった。どうしても今日一日だけはベッドの空きがないから、一晩だけテント泊になるとの事であった。もちろん彼は了承済みである。

 オーナーが昼頃ダウンタウンへ行く用事が出来たので、ついでに車でグレハンのディーポまで送ってくれることになった。昼までまだ時間があるから、出発する時に呼んでもらうことにした。重い荷物を担がずにいけるので非常にラッキーだ。

 デッキで一人の中年のおばさんと話をした。だいぶ前に日本で働いていたらしく、俺が日本人だとわかると、ぶつぶつと文句を言い始めてきた。
「あなたはこうやって、フレンドリーに話ができるからいいんだけど。日本はとても奇妙な文化ね。昔日本の会社で働いた事があったけど、私が朝出社してきて、おはようと挨拶をすると誰も返事をしないのよ。いやな雰囲気でね。それ以来私にとっての日本人はこう。」
といって両手をこめかみにもっていって、その昔せんだみつおがギャグで「ナハ、ナハハハ」とやってたようなジェスチャーを見せた、ようは視野が狭いといった意味をあらわす仕草だ。俺はその時とりあえず表面上は笑っていたけど、なんてこたえていいのかわからなくなってしまった。

 10:00を過ぎるとみんな朝食を終えるので、デッキには誰もいなくなった。俺は一人そこにいて、日本にいる友人に絵葉書を書いた。ときおり何も変わらないあたりの景色をながめて、ため息をついたりした。はっきりいってここはめちゃくちゃ気に入った。宿の良さが占める割合が特に多い。4日間という短い期間であったが、いろんな旅人と出会い話ができて楽しかった所であった。本音をいうと、ずっとここに居すわりたい気分であった。また機会があればここに来たい、そんな思いをさせてくれる宿であった。ガイルがやってきた。今日も午後から物件を探しに出かけるとの事であった。いい物件が見つかるように祈ってるよというと、嬉しそうにお礼を言ってくれた。彼は俺が絵葉書を書いてるのをみて、
「絵葉書か〜。俺全然書いてないよ。友達には全部メールで済ませた。今ホワイトホースにいる。from ガイル。そしてアドレスを全部インプットして、一斉に送信して終わりさ。」
確かにメールは非常に便利だ。しかも早い。エアメールなんかでは1週間くらい輸送時間が掛かるが、ネットのメールであれば、2〜3分位で届いてしまう。文章のほかに写真の添付も可能だ。メールの他にHPも同じだ。アップロードさえすればリアルタイムで状況を報告及び閲覧することができる。つい数年前では出来なかったことだ。世の中本当に便利になったものだ。俺も今回の旅ではメールも何回か利用した。それと同様に絵葉書も書いてきた。ネットでのメールが盛んに普及している中で、あえて絵葉書も利用してきた理由は、いかにも旅先から届けられたという感じがするからである。まあ、これは俺の個人的な見解だ。メールだけに固執する人はそれでいいことだし、否定はしない。要は自分の好きな通りにやればいいのだ。

 11:00頃になったら、宿のオーナーが町にでかけるからという事で俺のことを呼びに来た。いよいよ出発だ。そばに居たガイルと固い握手を交わした。ラウンジに居た、南米、北米と旅してきた彼とSさんに別れの挨拶をした。Wさんは後から歩いてディーポに向かうというのでひとまずお先と言っておいた。車に乗ると5分位でディーポに到着した。オーナーに別れを挨拶を伝えた。

 ドーソンクリーク行きのバスは13:30発だ。まだまだ2時間以上も時間がある。荷物をロッカールームに放り込んで、昨日閉店時間にいって、入ることの出来なかったマクブライド博物館に行くことにした。ここはゴールドラッシュ時代の写真や資料、ホワイトパスの鉄道、動物の剥製などが展示されている。入り口で料金(確か4ドル位)を払い、中へ入った。博物館の中は一階、地下1階そして野外と分かれてる。まずは一階の動物の剥製をじっくりながめた。


いろんな動物がいるんですね〜。グリズリーはやっぱりでかいよ...。@マクブライド博物館

しかしまあ、いろんな動物がいるもんだ。クマ、オオカミ、コヨーテ、エルク、ムース、カリブー、リスその他いろいろ。そういえば、今回カナダに来て野性の動物といったら、シカ、リス、ブラックベア位しか見てないな〜。なんだかいまいち物足りん。

 近くにいた人に写真を撮ってもらった。あいかわらず、デジカメは珍しいようで、みんなとった後のプレビュー画面をみてビックリする仕草が面白い。写真をとってくれたおじさんが、カメラを俺に返しながら話し掛けてきた。
「ん〜、君はどこからきたの?」
「日本から。」
「おー、はるばる日本から。ようこそカナダへ。英語上手だね。どこで習ったんだい?」
「ありがとうございます。日本では中学、高校で英語の授業があるんですよ。でも文法やリーディングが中心で...。もっと勉強しないと。」
「いやいや君はちゃんと話せてるよ。現に君の言ってることは理解できるし。」
とその後、このおじさんは英語でベラベラベラ〜としゃべりまくりはじめた。どうも動物について説明をしているようなのであるが、俺は
「ふ〜ん、へー、そうですか〜。」
と相槌を打つのが精一杯ではっきりいっておじさんが何をしゃべってるのか理解不能であった。外人さんはちょっとでも英語がしゃべれる人だとわかると、ベラベラベラ〜と早いスピード(ネイティブ同士であれば普通のスピードだと思うけど)で話しまくるのが特徴だ。ゆっくりしゃべってくれといっても、あまりスピードは変わらない...。そういえば以前、日光のユースに泊まった時、ベッドメイキングやり方がわからなかったのでたまたま同じ部屋にいた、オランダ人に英語で「ベッドメイキングやり方を教えてくれないか」と尋ねたら、そいつがカタコトしか英語を話せない俺のことを「英語が話せる人」と理解したらしく、もうれつな勢いで話し掛けてきたことがあった。そいつの話をよくよく聞いてみると、日本に旅しに来たものの、英語を話せる人がほとんどいなくて寂しい思いをしていたらしい。たまたま俺が英語でちょっとだけ話したのをきっかけに、いままでの鬱憤をはらすかのごとく話し掛けてきたのであった。あとその逆もあるな。外国に行って、外人さんが「コニチワ(何故かンが抜けて話す)、ドーモーアリガトー」などといってくる時もある。そんな時は「おっ日本語がベラベラなのか?」という発想は起きない。必ず英語で「日本語を話せるんですか」と尋ねる。だいたい決まって答えはその程度しか話せない人がほとんどだ。英語はある意味国際語と呼んでもいいくらい、メジャーな言語だ。そんな環境の中で英語を話す人達はだれでも話せるものであると認識しているのだろう。

 地下に行くと、ゴールドラッシュ時代の資料が沢山おかれていた。外には当時の家屋やホワイトパスの機関車の模型やエンジン等の展示がされていた。


当時の家屋を再現したもの。(だと思う...)


ホワイト・パス鉄道の機関車。ユーコン開拓当時の交通機関はアラスカ州スキャッグウェイ〜ベネット湖までの50km間の鉄道であった。現在もその鉄道は残ってて観光鉄道として走っている。


野外に展示してあるものは、金を払わなくても外から眺めることができる。結構外から見学している人たちも何人かいました。

野外では展示品の他に、砂金採りの体験学習会みたいなものがあり、小学生くらいの子供達が何人か参加をしていた。パンという砂金を採る為の皿に砂を入れ、水の中でぐるぐると回しながら砂を少しづつどけて、金を探していくのだ。金は比重が重いから最後に残るという形になる。俺も昔、宮城県の牡鹿半島でこの砂金体験ツアーをやったことがあるが、とても地味な作業で根気と忍耐力を要する作業だ。それでも小学生達は真剣なまなざしで金を探しまくっていた。俺がひやかし半分で「金は採れたか?」と話し掛けても無視される始末であった。

 出発時間も近づいてきたので、博物館を後にしディーポに戻った。ちょうど昼飯の時間だったので、ディーポの前にある「SUBWAY」のサンドイッチ屋に言ってくることにした。パンの種類とサイズを選びベースを「ステーキ&チーズサンド」にした。中に入れる具は自分でいろいろと選ばなければならない。飲み物はアイスティにした。ディーポに戻り慌ててサンドイッチをほうばった。食べてる最中にWさんと、南米、アメリカを旅してきた青年が一緒にやってきた。青年はとりあえず一週間滞在するのでこれから街を散策するとのことであった。彼には、この街はのんびりとできるから、ゆっくり骨休めをしたほうがいいよ。とアドバイスをしてまた握手を交わした。バスがやってきたので、乗り込むことにした。今回は運良く最前列の席を確保することができた。Wさんは後ろの座席の方に行ってしまった。彼女にとってのバス移動の時間はひたすら寝ることに徹するといってた。確かに車窓の景色はほとんど変わらんから、寝てる間に目的地に着いた方が楽なことには代わらない。逆に俺にとってのバス移動の時間はどうせろくに寝ることが出来ないから、車窓の景色を存分に楽しむことを選んだ。帰りは往路と全く同じである。唯一違う点は、行きに夜中走ったところを、まだ明るい時間帯に走ることだ。

 バスは定刻通りに出発をした。ダウンタウンの北からアラスカハイウェイに入り南を目指して走る事となった。アラスカハイウェイに入るとすぐに空港に出くわした。ホワイトホースの空港だ。ここはダウンタウンのすぐ西側にある高台に位置しており。車で10分くらいの好位地にある。バンクーバーからも何便もでてるので、2〜3時間で着く距離だ。ここを直接目指すのなら飛行機で行くのが圧倒的に便利である。

 道路はひたすら、森の中を一直線に続いていた。


延々と続くアラスカハイウェイ。グレイハウンドのバスの最前列から見える景色はこんな感じだ。フロントガラスから全体的に見れるので、車窓の景色を楽しみたい時は絶対に確保すべき場所だ。この場所を確保するには1時間以上前から並ぶ覚悟が必要。お年寄りの乗客も結構前列に固まってる。あとハンディキャップのある方が乗車する場合はこの席が優先席になるので、その時は諦めよう。

 最前列からの眺める景色はやはり違う。景色を楽しみたい時はこの席を絶対に確保すべきだ。

 身を乗り出して、写真を撮ってたら、運転手に、
「アラスカハイウェイは初めてなのか?」
といわれてしまった。それにしてもやっぱり最前列からみる景色はすばらしい。


ずーっとこんな景色...。

 出発してからずっと同じ景色なので、どうしても飽きが出てきてしまった。退屈で仕方がない


果てしなく続く道路。よくみるとバスのフロントガラスには虫の死骸が沢山へばり付いてました...。

 ホワイトホースを出発してから2時間位たつとテスリン湖に出くわした。地図でみるとキュウリのように細長い形をしている。ここからテスリン川に水がながれ、やがてユーコン川に合流しはるか3000kmの彼方ベーリング海峡へ流れていくのだ。この湖沿いを走ってる頃に運良く睡魔に襲われてうとうとと寝ることができた。1時間位してふと目がさめると、右側にはまだテスリン湖が存在していた。しかしまあ、なんという長さの湖なんだろう。

 夕方、18:45にワトソンレイクに到着し45分の食事タイムとなった。ここワトソンレイクは下記の雑誌の写真のようなナンバープレートのオブジェみたいなところがある。


写真の名の通り、「SIGN POST FOREST」という観光名所だ。プレートの枚数は2001年現在で42000枚を超えている。毎年2000枚以上のプレートがここに届けられその枚数は日々増えている。1942年にアラスカハイウェイ建設中、ホームシックにかかったアメリカ兵士のCarls K lindleyさんが自分の故郷であるイリノイ州ダンビルとプレートに書き且ここからの距離をマイル表示をしたのが発端であった。
 しかしまあ、プレートの数はすごいものだ。アラスカハイウェイ沿いにあるからバスからも眺めることができた。Wさんは、食事をするよりも、こちらの見学の方をとり、俺は晩飯を食べる方を選んだ。休憩時間が45分しかないので、歩いてそこまでいけるかちょっと自信がなかったからだ。ワトソンレイクはとても小さな街だ。でも、こんな小さな街でも中華料理屋があるのにはビックリした。他にも飯屋はいろいろあったけど、俺は迷わず中華料理を選んだ。米類の方がなにかと腹持ちがいいので、チャーハンを頼むことにした。退屈なバス旅では食べることが、とてつもなく楽しみな時間になってしまうのを感じてしまった。従業員も全てチャイナ系、暇つぶしに会計の時に「謝謝」と言ってみたが、何の反応もなく無視されてしまった。ウォータートンの時はちゃんと反応をしてくれたんだけどな...。

 飯も食い終わり、バスは再び発車をしようとしたが、一人の乗客が運転手に向かって、騒ぎ出した。どうも隣に座ってた人がまだ戻ってきてないとの事であった。運転手は出発するたびに人数を確認するのだが、これはあまりあてにならない。今回も乗客が騒がなかったら、そのまま発車をしていただろう。乗り遅れた乗客はのんきに、向こうの方から歩いてくる。バスはそこまで走り、乗り遅れた乗客を拾って再び走りはじめた。

 窓の景色をみてると、時々バイクで旅してる人たちが見えた。さすがにアラスカハイウェイを走り抜くため装備の量も凄い。後部座席にはまるで雪だるまでも乗せてるように積み上げられている。それだけでは収まらないとバイクの後ろにリヤカーを小さくしたような牽引車まで引っ張ってるバイクも多々見られた。日本だと250CCクラスのバイクで旅してる人は沢山いるが、ここではほとんどビッグバイクだ。オフロードバイクで旅してる人もほとんど見ることができない。国がでかいとバイクまでデカクなってしまうのだ。

 22:00を過ぎると空が段々暗くなり始めてきた。バスのはるか前方に動物らしき物影がみえた。バスがだんだんその物体に近づくと、あきらかに野生の動物であった。あたまに大きな角があるのも見えてきた。
「ムースだ!」
思わず興奮して叫んでしまった。バスの中でどよめきが起き、みんな見を乗り出して、その動物をみようとしてきた。今回初めてみることのできた野生の動物だ。角がヘラのような形をしてるのでヘラジカとも呼ばれている。そしてその後また、動物の群れが道路わきの草を食べてる姿がみえた。角が生えてないのでメスであることはわかるのだが、どの動物だかわからない。運転手がムースと教えてくれた。

 俺の後ろに座ってた人も野生の動物みたさに身を乗り出してきた。この、おっさんはアルジェリアからきた人でアルゼンチンの元サッカー選手のマラドーナにそっくりな人であった。俺の事を韓国人かと思ったらしく、「アンニョンハセヨ」などと声をかけてくる。日本語と韓国語のあいさつ位ならしゃべれるといっていた。ホワイトホースに来る最中、マンチョレイクで野生のバッファローを見たのでもう一度みたいともいっていた。ムースの出現で座席の2〜3列目の乗客は次の動物が現れるのをまだかまだかといった感じで興奮しきっていた。そうこうしてるうちにバスは行きの時と同じようにマンチョレイクで休憩の時間になった。


月光に照らされるマンチョレイクを撮りたかったけど、思いっきりピンボケしてしまいました。実物はとても神秘的だったんだけど...。
バスから降りて、Wさんにさっきムースを見ることができたよと報告をしたら、寝ぼけてたんじゃないのいわれてしまった。だいたい、なんでねぼけなきゃいけねぇんだよ。一瞬その発言にむかっと来たが、起こってもしかたないので堪えることにした。

 バスはまた走り始めた。ここからが野生の動物のオンパレードが始まった。20分置き位に次から次へと動物がでてきた。運転手は動物が見えてくると、指をさして、
「ムース」
「エルク」
「カリブー」
と教えてくれるのでありがたい。0時を過ぎたあたりで、もう肉眼的に見るのが不可能になってきたので、動物を探すのは止めにして、寝ることにした。先ほどのマラドーナ似のおっさんが席をゲホゲホしてて苦しそうだったので喉飴をあげた。グレハンのバスはエアコンが思いっきりかかってるので、車内の空気は乾燥しまくっているから注意が必要だ。終点まで後9時間もある。今日はぐっすりと寝れるのだろうか?
(つづく...)