7/17ホワイトホース1日目 |
[HOME] [自己紹介] [エッセイ目次] [旅行記目次] [2002年カナダ旅行記目次] [掲示板] |
<<戻る 次へ>> |
*7/16ホワイトホース1日目(晴れ後くもり時々にわか雨)*![]() 朝の4:30にバスはホワイトホースにようやく到着した。空はオレンジ色に染まり、朝焼けがとてもきれいだった。しかし気温が低いのでとても寒い。グレイハウンドのバスはここまでだ。これから先、ドーソンシティやアラスカまで行くには、違う路線のバスに乗り換えなくてはならない。 ![]() ![]() ユーコン川に出ると川面にうっすらともやがかかっていた。川幅は上流域の為か思ったほど広くはなく、意外と流れのスピードがあるように感じた。川沿いには遊歩道があるのでそのままキャンプ場まで歩き続ける事にした。 ![]() ダウンタウンのはずれにでると、アラスカ・ハイウェイに続くロバート。サービス・ウェイにでた、地図で見る限りではこの道沿いにキャンプ場があるとかかれている。車で2〜3分。徒歩で15分とも記載されていた。ユーコン川をじっくりと眺めながら、キャンプ場に向かうのだが、一向につく気配がない。 ![]() 道沿いに駐車スペースがあったので、ちょっくら一休みをすることにした。寝不足での散歩はちょっと体にこたえる。ベンチがあったので、座りながらタバコを吸うと、急に腹が「ぎゅるるるる」となり便意をもよおしてしまった。しかも周辺にはトイレなどない。小の方ならそのへんで、済ますことが可能であるが大のほうはそうもいかない。大の方の便意は波があるので、しばらく我慢をすれば腹の痛みも治まる。そんな訳で、手をぎゅっと握り締めながら、押し寄せてくる便意をひたすら耐える事にした。やがて便意が治まると、キャンプ場を目指して歩き始めた。次にいつ便意が襲ってくるかわからないので。キャンプ場に行けばトイレもあるからそこで用を足そうと考えた。 なんとか次の便意が襲ってくる前に、キャンプ場に到達することができた。キャンプ場は一区画ごとに振り分けられていた。ほとんどが車で来てる人が多く、バイクでキャンプをしてる人も、ちらほらといた。トイレを見つけたので迷わず、そこに行き用を済ませる事にした。トイレにはシャワーも完備されており、なかなか設備がいい。シャワーを浴びたい気持ちもあったが、いかんせん金も払ってないので、そこまでずうずうしくは出来なかった。念の為、キャンプ場の料金を確認しようと、事務所の方に行ってみたのだが、朝早いせいか事務所には誰も居らず、入り口の所に時計のような看板があり、スタッフが戻ってくる時間が記されていた。戻ってくる時間は7:15。しかし、その時間を過ぎても一行にスタッフが戻ってこないので、その辺にいた人に尋ねてみると、一泊14ドルとの事であった。オートキャンプするのなら、かなり安いが俺の用にバックパックでキャンプをするには、ちょっと高いなという値段であった。でもシャワーが完備されているので、設備的には申し分ない。ただ、街から結構離れてるのが気になる点であった。車なら全然問題ないが徒歩だとやはり無理がある。しかもまた、クソ重いザックを背負って一時間近くこのキャンプ場まであるくのは結構しんどい。どうするか迷ったが、ここでは決断せず。再びディーポまで戻ることにした。途中、観光案内所が開店してたので、そこに立ち寄り、宿泊施設、レストラン等様々な資料を片っ端らからもらってきた。日本語の資料までおいてあったのには驚いた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Hide on Jackell:http://www.hide-on-jeckell.com/ The Beez Kneez Bakpakers:http://www.bzkneez.com/main.html ついでにハイキングマップもカウンターに申し出てもらってきた。何事もいってみるものだ。バックパッッカーズハウスのリーフレットももらったので、まだまだ時間があるから、ちょっくら覗いてみることにした。地図でみると観光案内所からはそう遠くはないので。両方とも1フロックはさんだ位置にあることが判明した。キャンプ場14ドル、バックパッカーズハウス20ドル。値段的にみればキャンプの方が安いが、設備、ロケーションで比較すれば断然後者の方に分がある。しかも、俺はまだこの時点で出発前に引いた風邪がまだ治っていなかった。しかもこのホワイトホースは結構寒い。健康管理面からみてもあまり、無理はしたくなかったので、バックパッカーズハウスの方を選択することにした。ディーポに戻り、バックパッカーズハウスに電話を入れる事にした。ちょうど公衆電話のあるところに、2つのバックパッカーズハウスのリーフレットがはりつけられていた。中身をよく読んでみると、チェックインが6:00か6:30からできるという。グレハンのバス利用を考慮してのありがたい配慮だ。まず、「The Beez Neez...」の方に電話をしてみた。双方ともリーフレトを見る限り、設備は同じであった。ただリーフレットを見比べてみて、イメージ的に「The Beez Neez...」の方がよかったのだ。電話をする前に手元に旅行英会話手帳の「ホテルでの会話」の所を開くことにした。自分の言いたいことが大体乗っているからだ。電話機に25セントの硬貨をいれ、ダイヤルをまわしてみる。カナダに来て初めての電話なので、ちょっと緊張してしまったが...。がしかし、一向につながる気配がない。仕方ないので「Hide On Jackell」の方にも電話をしたがこちらも通じない。かけ方が悪いのかと思い、電話機にあるマニュアルを見ながらかけているのだが、一向に呼び出し音がならない。なったとしても誰も出ない。この時の時間は朝の10:00近くになってる。何回もチャレンジしたが、埒があかないので、焦りと苛立ちがピークに達しむかついたので、とりあえず電話をあきらめる事にした。場所は既にわかってるので、最悪の場合は直接、宿にまでいって交渉するしかないと腹をくくった。時間は10:30をすぎ、むかついたためか、ちょっと小腹がすいたので、どこかで食事をしようと思った。腹が満たされれば少しは気持ちも落ち着くだろうと思ったからだ。ディーポの近くに「Little Japan」とかかれた日本料理屋があったので、そこに行ってみることにした。 店の窓のところにメニューが貼ってあったので、みてみると、寿司の他にうどんやそばのメニューが書かれていた。こんなカナダの僻地のところまでに日本料理があるなんてすごいなと感心しながら、いっちょうどんでも食ってみるかと思い、店の中にはいった。店内は東洋系の中年夫婦と思われるスタッフが二人程いた。客は俺一人だけ。適当にあいてるテーブルを見つけて席にすわると、女性のスタッフがメニューを持ってきた。なんのうどんを食おうかなとメニューを開いてみると、目玉焼き&トースト系の朝食メニュー関係しか載ってなかった。 「あちゃー、日本食を食いたくてこの店に来たのに...」と後悔してももう遅い。このまま何も注文せず、店をでる勇気もなかったので、北米大陸定番の朝食メニューを仕方なく注文することにした。 「2エッグ、ソーセージ、ベイクドポテト。パンはホワイトで。飲み物はコーヒー。卵は両面焼きね。」 別にお店側には非がないので、文句は言えない。日本食を食べるにはまだ早すぎたようだ。ここでも何故かトーストにはマーガリンがぬってあって、ついでにジャムも皿に載せられてきた。食後はコーヒーをお替りして、勘定をすませようとカウンターに向かった。 「日本食は何時から食べることができるんですか?」 と尋ねてみた。すると13:00以降から食べることができるとわかった。中年のスタッフは俺が日本人だとわかると、奥から1枚の絵葉書をもってきた。 「彼女も日本人なんだけど、名前がわからないんだ。これなんて読むかわかる?」 と聞いてきた。その絵葉書をみると差出人の名前は漢字だけでアルファベットでの記載がなかった。 「和子さんという方ですよ。」 「あ〜、彼女か〜。以前こっちに1週間ほど滞在してて、毎日うちに来てくれてたんだよ。」とその中年スタッフが懐かしそうに言ってきた。適当に二人と会話をした後、その店を出ることにした。俺もうどんが食いたかったので 「また来ますんで。」といって店を出て行った。(しかし、その後その店には行かなかった...。バックパッカーズハウスで自炊をしてたので) 再度ディーポに戻り、電話をかけ直してみたが、依然つながることがなかったので、直接宿の方へに出向くことにした。こんどは荷物を全部背負っての歩きだから、とても辛い。休憩がてら再び観光案内所に立ち寄った。中に公衆電話があったので、だめもとでもう一度宿方に電話をかけてみた。すると、ようやくつながることが出来た。「The Beez Kneez」の方はあっさりと満室ということで断念。ということはこれから掛ける「Hide on Jakell」の方も満室の可能性が高いとちょっと不安になってしまった。 「プルルルル・・・・」 「はい、ハイド・オン・ジャッケルです。」 「(おぉ〜、こっちもつながったぞ)あッ、すいません。今日そちらの宿に泊まりたいんですが、ベッドの方はあいてますでしょうか?」 「大丈夫ですよ。(やった〜、これで宿が確保できた)」 「3泊を予定してるんですけど。」 この後電話の向こうでガチャガチャと英語でしゃべりたててきた 「○△!x□☆?....(言ってることがよくわからん)」 「すいません。自分は英語が苦手なので、もっとゆっくりしゃべっていただきたいのですが」 「3泊だと、部屋を毎回移動しなければならないんだけど、それでもいい?」 「あ〜、全然問題ないです。」 「わかりました。では名前と人数を言ってください」 「B-Yです。人数は私だけです。」 「場所はわかる?」 「地図があるので大丈夫です。今、観光案内所にいるので、これから10分くらいで伺います。」 「観光案内所なら近いわね。では、お待ちしております。」 「はい、わかりました。」 といって電話を切った。国内外かかわらず、旅先で宿が決まるととても安心してしまう。たとえそれが野宿をする場所でもだ。再び重い荷物を背負って宿へ向かった。宿はダウンタウンの南側のはずれに位置している。周辺は普通の民家が連なっていた。 ![]() http://www.hide-on-jeckell.com/ 宿の玄関の前に辿りつくと、人がいたので、 「すいません、ここのオーナーですか?」 「ええ、そうよ。」 「先程、観光案内所から電話をした、B-Yですが。」 「あら、いらっしゃい。さあ、入って入って。」 玄関に入るといきなり下駄箱があった。どうも土足厳禁の宿のようだ。 「ここ、土足厳禁なの?」 「そうよ。靴は適当な場所に置いておいて。」 北米大陸の家で土足厳禁というのは、なんだかめずらしい。宿に入るとまず半地下状態になってる自分がこれから滞在するベッドに案内された。部屋には2段ベッドが2つと1段ベッドが一つの計五名が止まれる部屋であった。俺のベッドは一段ベッドで、あまり窮屈さを感じないのがいい。各ベッドには、動物の写真が張られており。この写真がこの宿で宿泊する際の管理ポイントとなる。どういう管理ポイントかというと、キッチンにいくと、食料を置いておくプラスチックのケースがあるが、それにも動物の写真が這ってあり、自分のベッドと同じ動物の所に置かなくてはならないのだ。荷物をベッド脇に置くと、オーナーは宿の設備の案内をしてくれた。シャワーの場所、再び1回に戻り、ラウンジをあんないされた。ラウンジには、ボードゲーム、CD、書籍などがある。そしてラウンジの隣には、PCルームがあり、インターネットが接続されていて無料で見ることができる。但し、後からみたい人がいた場合には10分位で変わらなければならないルールがあった。しかもこのPCは嬉しいことに日本語の対応もできるという。たまたまPCルームに日本人の青年がいたので、オーナーが彼に同じ日本人であることを紹介してくれた。とりあえず俺の方も「どうもどうも」と簡単に挨拶を済ませておいた。その後はキッチンに案内された。先程の食料を置いておくケースの説明や、冷蔵庫に入れる際は名前を記述の事、ゴミは燃えるゴミ、燃えないゴミ、生ゴミ用があるので分別はキチンとするようにとの説明を受けた。その他砂糖、塩などの調味料の場所や、米を炊く事の出来る炊飯機、箸、ラーメンドンブリ、後、竹ひごをを糸で括りつけたまき寿司を作るためのものまで置いてあることがわかった。これらの設備から、いかに日本人の利用者が多いがが判明ができた。キッチンのすぐ隣にはデッキになっていて、テーブルも置いてあった。洗濯機と乾燥機も完備されていて、こちらは有料になっている。使用したい場合はオーナーに申し出てくれといわれた。一通り宿の説明が終わると2階の事務所に通されチェックインの手続きに入った。事務所にはパソコンがあり、この宿のHPがある事を教えられ、しかも日本語対応になってることもわかった。トラベラーズチェックで20ドルX3泊分プラスキーデポジットとして5ドル計65ドルを支払った。デポジットの5ドルはチェックアウトをするさいキーを返せば返還してくれる内容だ。更にここでもまた説明をうけた。宿は24時間オープン。自転車もあり、一日だけの利用であれば無料で貸し出しをしてくれる。その後オーナーは一枚の地図を目の前に差し出した。ホワイトホースのダウンタウンの地図だ。しかもご丁寧に日本語で書かれている。周辺のレストラン、ライブハウスなど等。ここのレストランはメキシコ料理で安くてボリュームがあるなど。丁寧に教えてくれる。宿の近くには24時間営業のコンビニみたいな店もあり、ロケーション的にはそんなに悪くない。なんとも、まあいたれりつくせりな宿だ。これで1泊20ドルはとても安い。 チェックインの手続きを済ませた後、いったん自分の部屋に戻り、洗面用具をザックから取り出してシャワールームへ向かった。サスカトゥーンをでてからまる2日、シャワーを浴びてないのだ。ついでに無精ひげもそった。シャワーを浴びた後、シーツと毛布カバーでベッドメイキングをしておいた。いつでも寝れる準備をなぜかしておきたかったからだ。 ![]() 一通り作業を済ませると、ラウンジにでてみた。ラウンジは板張りで広さは8畳位だろうか。テーブルとソファとクッションがおいてある。本棚には各国の旅人が置いていったのであろう、様々な国の本が置いてあった。もちろん日本の文庫本も置いてあった、椎名誠や野田知佑関係が多かった。CDの方はパソコンで焼いた関係が多く、様々なジャンルが置かれていた。カセットテープも何本かあり、なぜか日本のは沢田研二のが置いてあった。とりあえず、既にラウンジに居た人たちに、 「Hi!」といって挨拶をする。みんな自分の世界にはいってるのか、そのご彼らと会話はなく、俺もここでの滞在期間どう行動するか、ガイドブックや観光案内所でもらってきた資料を眺め考えることにした。日本でカナダに行く計画を立てていたとき、ホワイトホースにいく事は決めたが、そこで何をするかというのはほとんど考えてなかった。もともとアラスカまで行ってみたい気持ちはあったのだが、スケジュールの関係で断念せざるを得ず、そこでアラスカの隣にあるホワイトホースに行ってみようと思っただけであった。後、グレイハウンドのバスもここまでしか走ってないので、グレハンの最北端までいってみようとしか考えてなかった。アラスカハイウェイをバスで走るから車窓の景色を楽しむためとカナダ縦断をちょっとだけしてみたいという気持ちも強かった。そのためにホワイトホースが候補にあがっただけだったのだ。ガイドブックをパラパラをめくってると、先ほどの日本人の青年が俺に声をかけてきた。 「どちらから来たんですか?」 「2日前にサスカトゥーンから、グレハンのバスを乗りついてここまで来ました。」 「サスカトゥーンなんて、渋いですね。なかなか行かないですよ。」 「だろうね。そこには日本人は全然見かけなかったよ。俺は大平原が見たくて、行ってみたのだが。」 「大平原なら、カルガリーからちょっと過ぎればたくさん見れますよ。」 確かにそうであった。大平原はアルバータ州に入れば十分堪能ができる。彼はY君といって5月の中旬にワーキングホリデーのビザを取得してカナダに来たそうだ。バンクバーにしばらく滞在した後、カナダィアンロッキーを旅してここまで来たそうだ。グレハンのバスで2ヶ月ほど旅をしながらカナダの東にあるノヴァスコシア州のハリファックスまで目指すそうだ。しばらく彼との旅の情報交換をすることにした。情報交換といっても彼から受け取る情報がほとんどであったが。 「ワーホリ、ビザ取得するの大変だったんじゃないの?俺の妹も以前カナダへワーホリにいったけど、ビザを取得するのに抽選を行ってたみたいだけど。」 「いえいえ、今は例のニューヨークでのテロがあったら応募者が激減したらしく、申し込めばすぐに取れますよ。」 彼は昨日、ホワイトホースに到着して、明後日、カヌーのツアーでユーコン川の支流であるテスリン川10日間かけてを下る予定になっていた。 「カヌーか〜、いいな〜、日本でもやってたの?」 「いえ、今回が初めてです。」 なんと彼はカヌーを初めてでツアーに挑戦するという大した方だ。 「でもツアー料金が高くて、1日あたりに換算すると120ドルもするんですよ。カナダに滞在してる時は一日30ドルで生活してたのに、ちょっと使いすぎかな。」となんだかツアーを参加することに対して、後悔の念があるようだ。ワーホリのように半年から1年かけて長期に滞在する人達はお金を節約をする為に、金銭感覚がシビアだ(そうでない人達もいるが)。彼はカナディアンロッキーを旅したときレンタカーを使用したが、レンタカー代もバカにならないので、ネットで参加者を募って、割り勘で安く済ませてきたともいっていた。 「いやいや、いいんじゃないか。1日120ドルなら、ちょっとした中級クラスのホテルに滞在して、外食をすればすぐにそんな金額になるし。それに今回のツアーでは、お金に変えられない何かを得られると思うよ。カヌーツアーなんて、めったに出来ることではないし。確かにお金を節約することは大事だけど、あんまりカツカツに生活していては旅事態がつまらなくなってくることになるから、たまにはぱっと使うことも悪くないよ。抑える時は抑えて、使うときは使う。メリハリがあっていいんじゃないか。それにワーホリのビザをもってるんだから、いざとなれば堂々と働く事だってできるんだから。」 「それも、そうですね。なんだかちょっと気が楽になりました。」 その後彼と話を続けてたら、ひょんなことから「親子丼」の話が持ち上がった。今米を炊いてあるから、親子丼でも作らないかと誘ってきた。一人で作ると材料があまって仕方がないからという。もちろん俺は二つ返事で了解した。しかし、買出しに行こうにも、外は急に土砂降りになっていたのでしばらく様子をみることにした。するとキッチンの方から、お酢の匂いが「ぷ〜ん」と漂ってきた。誰かがお寿司を作ってるようだ。たまに日本語なまりの英語が聞こえてきたので、もう一人日本人が滞在してることがわかった。 雨がほぼ小雨になってきたので、Y君とスーパーへ親子丼の食材を買出しに行くことにした。スーパーはダウンタウンの北側にあったので、徒歩20分位かかった。スーパーに入り買い物篭を持って店内を歩いた。まずは親子丼の材料である鶏肉、タマネギをかった。こっちの野菜や果物は量売りあった。日本のように一個いくらとか一袋でいくらでは売ってない。重さ単位で値段が決まるのであった。Y君は野菜などの市場価格を知ってる為か、ここホワイトホースの値段は高いとぼやいていた。野菜を買うにしても、一つ一つ吟味してはかりの上に載せていた。えらいものだと思った。親子丼の食材をかごに入れたあと、それぞれの食材を買うことにした。俺はあいもかわらず、即席ラーメン(出前一丁ビーフ味)3個、マッシュポテト(ガーリック味)、食パン、ピザソースを購入した。日本で売ってる出前一丁やサッポロ一番が置いてあるのにはビックリした。それも日本にはないビーフ味というのも面白い。韓国の「辛」ラーメンもあった。これで合計11ドル。宿に戻って、調理をすることになった。俺は親子丼を作ったことがないので、足手まといになるから全て彼に調理をお任せすることにした。卵を買ってくるのを忘れたので、近くのコンビニで俺が買ってくることにした。宿からでると再び雨が降り出し、途中で雨宿りが出来るところで30分も足止めをくらってしまった。コンビニには、日本のあられやせんべいも売っていた。こんな北の僻地にまで日本のお菓子が売られてるなんて、なんだか不思議である。卵を無事調達して、親子丼が完成した。Y君はごはんをラーメンドンブリによそってきたので、すさまじいボリュームの親子丼が出来上がった。それから彼が日本から持ってきたインスタント味噌汁もご馳走してくれたので更に感動をしてしまった。丼ものに味噌汁は非常に良くあう。親子丼の味も最高に美味かった。ここまで来る間の2日間はずっと粗末なサンドイッチと菓子パン位しか食べてなかったので、久々のごちそうに思えた。彼は骨付きを鶏肉を買ってきて、包丁で丁寧に肉と骨を切り分け、骨をだしにした鶏がらスープをベースに作ったのだ。そしてあまった、鶏がらスープにタマネギや冷蔵庫にあったにんじんを入れて煮込み、野菜スープまで調理をしてた。まさに主婦顔負けの調理術を身に付けた青年であった。ご飯が茶碗四杯分ぐらいありそうな超特盛状態の親子丼をハフハフしてうめーうめーといいながらなんとか全部平らげることができた。あまりにもたらふくに食ったので、食後は苦しくて動くことが出来なかった。二人で、 「う〜、食いすぎだ〜。」といいながら、しばらくぼーっとたそがれてしまった。時間は4時くらいを過ぎていたので、もう晩飯はいらないと思った。彼は、「さっきの鶏肉を利用して野菜スープを作りましたから明日楽しみにして下さい」といわれた。食後の後片付けは俺がやることにした。全て彼がおいしい食事を作ってくれたので、何もしてない俺はこのくらいしか出来なかった。その後彼と別れ、思い思いに過ごすことにした。俺はラウンジにいって、音楽を聴こうと、適当にCDを取り出しゆっくりくつろぐことにした、しばらく音楽を聴いてたら、オーナーが俺に声をかけて来た。 「B−Y、あなたお腹すいてない?おかずが余っちゃってるの。」 「(さっき親子丼をたらふく食べたので、いらんわと思いながら)あ〜、すいません、もうお腹いっぱいで、これ以上食べれません。」と自分の腹をパンパンと叩きながら応えた。 何時の間にか、雨は上がっていい天気になっていた。宿内は全室禁煙なので、タバコを吸いにキッチンの横にあるオープンデッキにでることにした。ここなら堂々とタバコが吸えるのだ。デッキにはテーブルが置いてあり、喫煙者用の灰皿もいくつか置いてあったのが助かった。テーブルには何人かの宿泊者が談話をしており、一言断ってタバコを吸った。しばらく一人でタバコを吸っていたが、その内テーブルにいた人達と会話が出来るようになってきた。最初はオーストリアからきた中年の男女と会話が盛り上がった。女性の方はいつも本かラウンジでクラシックのCDを聞きながらくつろいでる方だった。「どこから、来たのですか?」と尋ねると決まって、「ウィーン、モーツアルトのいた所。」と応えてたのが印象的であった。男性の方はこれまたりっぱな体格で、ホワイトホースには何回も来たことがあったそうだ。今回もカヌーをしに来たという。彼はカヌーの話をしきりにし、過去ホワイトホース〜ドーソン間のカヌーレースに参加をし60時間ぶっ続けでパドルをこぎまくった事があると自慢をしてた。しばらくした後、明日は早いからといって部屋に戻ってしまった。時間は21:00を過ぎても、そらはまだまだ明るく、夕方みたいな時間帯だ。なんだか調子が狂う。オーストリア人がいなくなった後、一人で紅茶を飲みながら旅の日記を書き続けた。バスの中では書くことができなかったから、3日分の内容を書くには結構時間が掛かる。今度は俺のテーブルの対面に一人の女性がタバコを吸いにやってきた。自分の手前にあった灰皿を彼女の近くに差し出すと、「気にしないで。」といって来た。彼女の服装が自転車で旅をしてる格好のようだったので、話し掛けてみた。案の定自転車で旅をしてる人だった。しかもアルバータ州からアラスカハイウェイを利用してフェアバンクスを往復してきてるというつわものであった。アラスカに行ってきたというのでオーロラ(現地ではNorthern Lightsという)についても聞いてみた。 「オーロラとか見たことある?」 「ええ、もちろん。」 「どこで見たの?」 「自分の家で。」 「いいなあ。この時期はオーロラあみれるのかな〜?」 「この時期は無理ね。見てごらん、この時間になってもまだ明るいでしょ。早くても9月に入るまでは無理よ。しかも9月でも、見れたとしてもちょっとだけしか見れないよ。」 「俺はまだ見たことないんだ。一度でいいからオーロラを見てみたい。」 「あら、じゃあ、ここに後6ヶ月位滞在しなさい。そうすれば見れるわよ(笑)」といってきたので二人してゲラゲラと笑ってしまった。いくらなんでも、半年もここに滞在するのは不可能だ。でも面白いことを言う人だと思った。やがて、スイスから来た中年のおっさんも俺達の会話に加わってきた。スイス人といってもしっかりと英語をしゃべってる。うらやましいことだ。オーロラの話で盛り上がったので、スイス人にも尋ねてみた。しかし、スイスではオーロラは見えないらしい、ヨーロッパ方面だとノルウェーやフィンランドあたりがよく見れるとの事だった。スイス人のおっさんは、91年にもカナダを訪れたといってた。その時はレイクルイーズに行って来たと話してきたので、俺も94年に行ったことがあると言った。その時は自転車でカナディアンロッキーを旅したと言ったら、アルバータの女性が同じチャリダー(自転車で旅する人の呼び名)であることから話がまたまた盛り上がり始めた。彼女もここまで来るに至って、やはりカナディアンロッキーを自転車で走破してきたらしく、俺に質問を投げかけてきた、 「バンフとジャスパーの違いはどう感じた?」 なんともまあ、難しい質問である。俺はその当時確かにバンフとジャスパーには立ち寄ったがジャスパーの方は賞味半日しかいなかったので、あんまりイメージがわかない。 「う〜ん、そーねー。ちょっと待て、言葉が思い浮かんでこない...う〜ん...。」 と何を応えていいかわからずうなってると彼女の方から、 「例えばバンフは人がゴミゴミしててうるさいとか、ジャスパーはとても静かだったとか。」 「(あ〜、そういうことを聞きたかったんだと思いながら)そう、そのとおりです。でもジャスパーは半日しかいなかったから、あまり覚えてなくて。確かにバンフは人がいっぱいだったよ。特に日本人もね。ホワイトホースの次はジャスパーに向かうから、よく観察してみるよ。」 俺がジャスパーに行くのを知ると彼女は、お勧めのユースをいろいろと俺に教えてくれた。アサバスカ滝のユースはキッチンが広くて水を補給するときくみ上げポンプだったから楽だったとか、ジャスパーのユースは街から離れてるけど設備的にはまあまあであるとか、マリーンキャニオンのユースはとても狭い所とか、有益な情報を知ることが出来た。3人でいろいろと話あってたら、時刻は0:00を過ぎてた。この時間になっても空はまだ明るく、未だに夕方みたいな錯覚に陥れられる。しかし、時間的には夜中の為周辺は誰一人居らず、ひっそりとしていた。風も吹き始めてきて、寒さを感ずるようになってきたから、お開きにしてそれぞれ部屋に戻って寝ることにした。 今日はいろんな人と会話が出来てとても充実な1日であった。もっと語学力があればと感じたけど、でも、言葉があまり出来なくても、相手の言ってることに対してテンポよく返せれば相手もそれなりに乗ってきてくれる。一番いけないのは、黙りこくってしまうことだ。本人は何をしゃべっていいのか頭の中で考えているのだが、相手から見ると話をしたくないと見られてしまうようである。こんなときは、とりあえず、「あ〜」とか「うー」とか言って反応を出すことが重要だと思った。一番いいのは、「ちょっと待って、説明したいけど言葉が思い浮かばない」というと、相手も助け舟をだしてくれる。もう少しこの辺を実践していこうと思った。 部屋に戻ったら俺以外の人達は全員寝てたので、物音を出さないよう静かにベッドにはいった。部屋の窓からは、まだ明るい空がのぞいてた。3日ぶりのベッドの上はとても心地よく即効で寝に入ってしまった。明日の行動はとりあえずどこかハイキングに行こう。 (つづく...) |
<<戻る 次へ>> |
[HOME] [自己紹介] [エッセイ目次] [旅行記目次] [2002年カナダ旅行記目次] [掲示板] |