|
|
1992年アメリカ一人旅第2話「2/18出発」 | |
[1992年アメリカ一人旅目次] | |
<<戻る 次へ>> | |
*出発当日* 1992年2月18日。この日が生まれて初めて海外へ旅発つ日であった。他人からみれば、どうでもいい日なのであるが、自分にとっては今思い返してみても記念日となっている。朝からそわそわして落ち着かない。パスポート、クレジットカード、トラベラーズチェック、米ドル現金、旅行会社から送られてきた書類、着替え、ガイドブック、辞書、英会話手帳、トラベル保険、など等、一通りチェックを終えた。 おろかなことに辞書は三省堂のコンサイス英和和英辞典だけもっていけばいいものを、何を血迷ったのか、受験時代に使った分厚い研究社の英和辞典までもっていってしまった。なんだか心配で仕方がなく、備えあれば憂いなしという考えがあったのだろう。(旅の最中に一度も使うことはなかった)ただ、今回はキャンプ道具を持っていかないから、衣類の着替えが中心だったのでザックの重量はそれほど重くはなく、担ぐ程度では全然問題ではなかった。 この日は2月といえど天気はよく、歩いているとちょっと汗ばむよな陽気であった。新宿で、貴重品等をいれるためのウェストバッグを購入していった。その後、上野駅まで行き京成スカイライナーで成田へ向かった。JJRの成田エクスプレスもあったが、こっちの方が料金が安いときいたので、京成にした。 スカイライナーは初めて乗ったが、なかなかよかった。車両と車両を結ぶ連結部分には、いかにもスーツケース利用者の為のラゲージスペースがあり便利であった。そこに自分のフレームザックを放り込んで、席についた。そして、ウォークマンで音楽を聞きながら、成田までの時間を過ごすことにした。 成田空港に到着すると、旅にでるという昂揚感というか興奮というかボルテージというか、そういった物がいっきに体の中からこみ上げてくるのを感じた。この体感は現在でも変わらない。海外は過去4回程いったが、必ずこの成田空港に到着すると、最初のころと変わらずこの込み上げてくる体感を実感することができるのだ。 ターミナル内には、これから世界各国へ旅立とうとする人々が溢れ返り、大きな窓ガラスからは離着陸する旅客機が往来していた。そんな光景がこれから旅立とうとする自分を奮い立たせようとするBGMの変わりでもあるかのように、ますます僕を興奮させていた。 そんな光景をみながら、自分が申し込んだ旅行会社のデスクに向かうことにした。予め送られてきた用紙をみると「成田空港北ウィング4階 XXXXカウンター」とかかれており、素直にそこに向かった。そこのフロアーには旅行会社のカウンターがまるで、縁日の夜店みたいに所狭しと並んでいたので、自分の申し込んだ旅行会社を探すのに苦労した。 ようやく探し当て、そのカウンターで自分の名前とツアー名を告げた。カウンターの姉ちゃんは僕の名前をファイルから見つけ出すと、 集合時間になったので、もう一度カウンターに出向いた。受付の姉ちゃんから簡単な説明を受け、エアーチケットを受け取った。リコンファームは必ず行ってくださいと念を押された。一応ツアーだから、同行の人となんか自己紹介とかしなくてはいけないのかな?と思ったけど。そんな事もなく、チケットを受け取ったら各々自然とそのまま別れた。 後は出国手続きを行い、アメリカ横断ウルトラクイズに出場する為にとった僕の真っ白なパスポートに初めてここで出国許可のスタンプが押されることになった。パスポートを取って4年経ちようやくその機能を使用することになった。 *生まれて初めて乗る飛行機* 今回の旅は生まれて初めての海外でもあったが、実は飛行機に乗るのも初めてであったのだ。出国手続きを済ませた後、搭乗ゲートの前で時間を潰すことにした。自分の乗る飛行機は「デルタ076便」18:20発だから、もう成田はすっかり日が落ち夜となっていた。やがてアナウンスが入り、飛行機に乗ることができた。 搭乗ゲートから直で乗れるのかなと思ったらそうではなく、飛行機があるところまでバスに乗って移動することになった。バスの中には初老の人達の団体客ツアーで込んでいた。バスは自分の乗る飛行機の横に到着すると、タラップをあがり機内へ入った。パーサーやスチュワーデスが乗客をニコニコしながら出迎えていた。米国系の航空会社なので全員が外人であった。なんだか、ここからもう既にアメリカという感じがしてきた。 搭乗率が低かったのか、かなりの空席が目立ち、僕の座ってるシートも3列独り占めにする事ができた。初めて乗る飛行機はなんだか、わくわくしてはしゃぎたくなってしまった。心の中で、 飛行機がいよいよ、ゆっくりと動き出した。外を見ると滑走路の誘導灯が一直線になれんでいて、とてもきれいだった。やがて、飛行機は一気に加速をし、前方がふわっと浮かんだと思うと上昇を始めた。街の明かりはあっというまに小さくなり雲を突き抜けると、何もみえなくなった。 飛行機に乗った時からちょいと後悔してたのだが、実はこの時物凄く腹が減って仕方がなかった。昼間ッ〜何も食べていなかったのだ。成田空港で何か食べようと考えていたけど、なんだか見るものがめずらしく興奮してたこともあったので、空腹感も忘れてしまっていたのだ。しかし、こうやって、飛行機にのって一安心するともの凄い空腹感が襲ってきた。ましてや、飛行機の中だ。新幹線と違い、売店や自販機もありゃしない。 空腹感を感じながらイライラしていると、飛行機は水平飛行に移った。その途端、機内があわただしくなった。スチュワーデスが何かを配ってるのが見えた。 無論こんなものでは、腹の足しにもならないことはわかっていた。「機内食はまだかな〜」と月夜に照らされる雲上の景色をみながら、待つことにした。ジュースとお菓子が配られてから20分位して、いよいよ機内食が配られてきた。「やった〜、飯だ飯だ。」と小躍りに喜んでしまった。 スチュワーデスは「Chikin or Beef?」と一人一人の客に確認をとりながら、機内食を配っていた。生まれて初めて飛行機にのる、おのぼりさん的な僕は迷わず貧乏根性を丸出しにビーフを選んだ。ビーフの方が値段が高いから、お得だろうという浅はかでみじめな思い込みが働いていたからだ。今思うと全く情けない発想だ。とりあえず、味を十分に堪能しながら機内食を頂いた。 食事が終わると、機内で映画が上映されることとなった。確か2本位やってたと思う。知ってる映画は「ロケッティア」というのがあっただけ。あまり興味のない映画だったので、ウォークマンを聞いたり、座席に取り付けられてるヘッドホンで音楽を聞いたりした。3列の座席を独り占めにできたので、腕を乗せる手もたれを全て上に挙げて、そこに寝転んだ。 映画が終わるとおやすみタイムとなった。周辺はひっそりとなっていたが、僕は興奮がおさまらずちっとも眠くなかった。現在だったら、多分気が狂いそうになるくらい退屈なんだけど、その当時は、飛行機に乗れたというものめずらしさで、ちっとも退屈さを感じられなかった。横になりながら、音楽を聞いたり、逐次運ばれてくるソフトドリンクは貧乏根性が働き必ずもらうことにした。 やがて飛行機の窓の外が明るくなっていた。下の方をみると、海と陸地の海岸線がず〜っと見ることができた。おそらく、これがアメリカなのだろう。 機内ががやがやと騒がしくなった。どうやら朝食の時間のようだ。銀色のボックスから朝食のトレーが次々と出され、乗客に配られた。 朝食も終わり、しばらくすると、「シートベルト着用」のアナウンスが入った。その後飛行機は高度を落とし左へと大きく旋回を始めた。まどからは、小さな家々がみることができた。いよいよ着陸だ。滑走路が見え、飛行機は無事ロスアンゼルス国際空港に到着をした。時刻は現地時間で午前11:00頃であった。 飛行機から降り、まずは入国審査だ。審査官とのやりとりは、考えていたよりとてもあっけなかった。飛行機のなかで、英会話手帳をみなたら予行練習をしていたのだが。質問内容は2つだけ、 (つづく...) |
|
<<戻る 次へ>> | |
[1992年アメリカ一人旅目次] |
Copyright (C) 2003-2006 B-Y. All
Rights Reserved.
|