1992年アメリカ一人旅「プロローグ」
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*生まれてはじめての海外*

 学生生活最後の春休み。今回は海外にいくと決めたが、いかんせん、海外は生まれてこの方一度も経験したことがない。大学生活の4年間はとりあえず、国内での一人旅はなんとかクリアは出来たのであるが、場所が海外となると、これまたまるで生まれて初めて一人で旅に出た時と同じような緊張感がでてきてしまった。

 なんと言っても、海外は言葉が通じない。これが一番でかい不安要素だ。当然といっては当然なのであるが。それと、治安。これも大きな不安要素である。まあ、あとは文化や習慣などいろいろでてくるけど、言葉と治安の違いがまだ一度も踏み入れたことのない、未知なる国へ旅に行くことに対して、大きな足かせとなっていた。

 しかし、大きな不安の裏側にはものすごい期待と楽しさも存在していたのも事実だ。テレビや雑誌でしか見たことのない国へ実際に行くのである。わくわく、どきどき、はらはらと心躍る心境であったのを思い出す。ましてや、生まれてはじめての海外なので、様々な想像をかきめぐらし、興奮をしていたものだった。

*初めての海外でいきなり一人旅*

 もちろん、今回の海外一人旅も一人で行くことに決めていた。てか、他の友人達と一緒に行こうともこれっぽっちも考えなかった。学生生活最後の春休みは「卒業旅行」シーズンで、学生生活最後の思い出として、友人達とどこかへ旅行へいくのが一種の恒例となっていたが、僕にとってみたら、海外へ長期間行くことのできる最後のチャンスとしか、考えられなかった。

 友人達からの誘いはあったが、丁重にお断りした。周りからは「一人旅をする奴」という印象を与えておいたので、断ったからといっても「冷たい奴」ともいわれずに済んだ。でも、「一人で大丈夫なのかよ。日本とは違うんだよ。」「一人で海外なんて危ないよ。」との忠告はいくつももらった。

 そういわれると、確かに不安はよぎった。僕自身も海外は経験をしたことがないので、わからないからだ。でも国内での一人旅を何回か重ねるうちに、一人で旅に出ることの自信と楽しさを覚えてしまったので、いまさら友人達と旅行に行きたいという気持ちもわかなかった。ましてや、1週間以上もずっと友人と四六時中顔をつき合わすのも、なんだか考えただけでも疲れそうな感じがして、ならなかった。旅だけは、自分だけの時間でありたい。わがままな考えであるが、そういう考えも確立しつつあったころだった。

 当時、一人で海外に行く人は周辺にはほとんど、いなくて情報収集が難しかった。居てもせいぜい夏休み等での1ヶ月位のホームステイを経験した人達位であった。いまのようにネットで調べることができなかった時代であったので。なので、海外に一人で旅にでて、安宿に泊ろうとする話を友人にすると、「ユースなんかに泊ったら、ホモがいてカマ掘られるぞ」「日本人とわかると、カモにされて金をふんだくられるぞ」という冗談か本当だかわからない事を言われると、マジに信用して、一人で海外に出ることに対して後悔と不安を増大させていた。情報がないため、そういった話が耳に入り込むと、とても重要なことと認識してしまうからであった。

 しかし、そういった話をするのは決まって海外に一度も行ったことがない人たちであった。彼らもそういった話を真に受けて、一人で海外に行けなくなった人たちでもあった。そんな話を聞きながらも、一人旅をやめようとは思わなかった。ちょうど国内でも一人旅も慣れてきたのか、あまり緊張感がなくなってきたのも事実だった。そういった時海外に行くことは、旅にでる心地よい緊張感をえることが出来る格好の手段でもあった。

 情報収集は、ほとんどが「地球の歩き方」であった。当時はじめて買ってみたのだが、まさに自分の旅のスタイルにうってつけのガイドブックで感激ものであった。ユースや安宿の情報も掲載され、かつ電車やバスでの交通手段も掲載されていたのが嬉しかった。一人ではじめて海外を旅するにあたって、このガイドブックがなければ、多分なにも出来なかっただろう。それくらい感激してしまった。

 もう一つ情報が欲しかったのは、身近に実際に海外を一人で旅した人の生の声が聞きたくて仕方がなかった。今なら、個人のサイトや掲示板で簡単に聞くことができるが、当時はそんなものがなく大変だった。たまたま偶然バイト先で知り合った人が国内外いろいろと一人で旅をしてる人がいたので、その人から旅の話や注意事項など実際の経験に基づいた話を生で聞くことができので助かった。上記にかいた「ユースでホモに襲われる」話など、聞いてみると、軽く笑われて一蹴されてしまった。むしろいろんな国の人と友達になれて、いいところであると教えてもらった。但し相部屋だから貴重品は常に気をつけるようにと教えてもらった。

 バイト先で知り合った彼は自分と同じ大学4年生であったので、いろいろ気が合い旅に関するいろんな事を教えてもらった。ただバイトの形態が日雇いのシステムであったので、あまり同じに日に当たることがなかったのが残念でしかたなかった。

 だが、彼から得た情報により、一人で旅にでる決意は確固たるものとなった。

*どこに行くか?*

 旅に出るのは決めたのであるが、どこに行くかというのがなかなか決まらなかった。行き先が決まらなければ航空券の手配もできやしないのである。海外に行きたいという強い気持ちがありながら、「どの国にいくか?」という重大な項目を決めなければならない作業がのこっていた。

 大まかではあるが、2ヶ国程対象は絞っていた。アメリカとニュージーランドだ。アメリカは小学校のころから一度は訪れてみたいとずっと思い続けていた国で、ニュージーランドは以前NHKの番組でルート・バーン・トレックというハイキングコースの特集を見て以来ずっときになってた国であった。当初は、2つの国を今回の旅で訪れてみようとバカな計画を立てたが、すぐにスケジュールと予算的に無理と判断して却下した。

 いろいろと行きたい場所を両天秤にかけながら、判断した結果アメリカに絞り込むことにした。

 しかし、アメリカはでかい。アメリカのどこに行くのにもいろいろと迷ってしまった。東海岸系はあまり興味がなかったので、すぐに対象からはずしたが、それでも悩みのネタは尽きなかった。アラスカでオーロラ見学も考えたが、これも最終的に却下することにした。「地球の歩き方」をくまなくよみ、そこから様々な情報を仕入れ、スケジュールをたてた。

 スケジュールを組み立てるにあたって、参考になったアドバイスがとある雑誌に載っていたのを思い出した。「海外の旅行でなにをするか迷ったら。国内でやっていた旅行と同じ事をやってみるといい。」沢山活字があるなかでの、この一言は自分にとってこれから生まれて初めて海外を行くにあたって、とても重要なアドバイスであった。

 この言葉はアメリカに行きたいという、強い希望で頭の中があれもこれもと先走りしていた、僕の混乱していた頭を、すっきり紐をといた形にしてくれた感じあった。

 僕は学生時代、周遊券を使っての列車の車窓から眺める景色を楽しむ旅、バックパックを背負っての歩く旅、自転車でのキャンプ旅を経験してきた。これらを振り返ってみると共通している部分は「移動」であることがわかった。そして、自然と田舎という共通点を見出し。それらで絞り出すことにした。

 この移動、自然、田舎町をテーマにスケジュールを考えた。そして、アメリカにはその希望する旅のスタイルを満たしてくれることが、あとでわかった。移動はバス。「地球の歩き方」にはアメリカにはグレイハウンドという長距離路線バスが網の目のように走っており、中には夜行バスもあるから、それらを移動として利用すれば宿代も浮いてしまう事もわかった。

 ちなみにアメリカにはアムトラックという長距離列車もある。しかし、こっちは路線数が多くないので、あちこち行きたい自分のニーズに満たさないことから却下した。両方共外国人観光客向けの期間内乗り放題のパスがある。おまけにバスは予約が不要と書いてあったので、予約が苦手な僕としてはうってつけの移動手段であった。

 次に自然といえば、アメリカには国立公園がある。他にもバスで移動しながら、荒野や大地の景色も楽しめる。自然に関していえば、以前からグランドキャニオンとヨセミテ国立公園は言ってみたいと考えていたので、これらはもちろん今回の旅のスケジュールにいれることにした。

 田舎町は「地球の歩き方 アメリカの田舎町(現在はアメリカの魅力的な町に改名)」をみながら、どこにいくか考えた。ニューヨークのような大都市には当時余り興味がなかった。なんか素朴な町を訪れてのんびりしたいという気持ちが何故か多かったことを今でおぼえている。

 旅の期間は3週間と決めた。実際は1ヶ月位いってみようかなと思ったけど、初めての海外一人旅でそこまでいこうとする自信が少々なかった。(今思うといっておけばよかったと後悔はしているが)3週間とは長いようではあるが、アメリカを旅するには少なすぎる期間であったと今でも思ってる。なんといっても国がでかい。計画段階では、これで十分だろうと思っていても、現地にいっていろいろ情報がはいり、あちこち行きたくなってしまうのだ。

 いろいろ、あれこれ考え、スケジュールがようやく完成した。旅行会社の手配も済ませた。とりあえず、「デルタ航空でいく、アメリカ3週間の旅。」商品名は「スイング21」だった。ロスから入り、帰りはサンフランシスコから帰国。ロスで2泊分のホテル付き。一見、なんかのツアーのようであるが、実際は添乗員、現地係員もつかない、期間内全て自由時間という、あとはお客さんで勝手にやってくれという実質は個人旅行のツアーであった。アメリカ国内2回分の航空券も付くというのでそれも活用することにした。グレイハウンドの周遊券アメリパスもここの旅行会社で申し込むことができたのでお願いしておいた。

 最初に立てたスケジュールは、ロス(2泊)−シアトル(2泊)−ソルトレイクシティ−デンバー(3泊)−ラスベガス−グランドキャニオン−ヨセミテ−サンフランシスコでいくことにした。後で変更はでてくるが、その辺は旅行記で詳細をしるしたいと思う。

*旅の準備*

 冬休み明けまで、ずっと卒論に追われていたので、旅行会社の手配からスケジュール、旅の準備は卒論がかき終わってからであった。とりあえず、旅行鞄はスーツケースではなく、いかにもバックパッカーというようなアウターフレームの50リットルのザックにした。移動が中心なので、なるべく背中で担いで両手が使えるものにしたかったからだ。

 銀行に行きドルの現金とトラベラーズチェック、クレジットカードなども申し込んだ。シューズも新しいトレッキングシューズにした。旅行会社からも当日の航空券引渡し場所の書類やグレイハウンドのアメリパス引換券なども送られてきて、あとは出発するだけとなった。

 さて、生まれてはじめての海外での一人旅、今回はどんな風になるのだろう?そう考えると不安と期待でいっぱいであった。

(つづく...)

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