駄洒落研究会

 「駄洒落」それは、ギャグの原点である。最近では「オヤジギャグ」などという冒涜に値する名がつけられているが全く腹立たしいことである。この「駄洒落」を発言するのに、脳の思考回路はものすごいスピードで情報と発想が駆け巡っているのであり、そのためパワーと回転能力が求められているのであります。ですから、「駄洒落」は芸術と呼ばなければなりません。


 私が確か駄洒落に目覚めたのは、中学2〜3年の頃だったと思います。デビューは新宿西口にある「小田急ハルク」というデパートで友達と買い物に行ってたときだ。


 エスカレーターで登ってるときにふとひらめきが沸き友達に「小田急ハルクじゃなくて超人ハルク」と発言したら、前にいたカップルが俺のほうを向き、噴出していたのだ。その時の俺の心境は妙に嬉しさを感じていた。そこから駄洒落のすばらしさを実感してしまったのである。


 大学時代も相変わらず駄洒落を言い続けていたが、誰も笑ってくれる人がおらず 肩身の狭い生活を送っていたが、ふと周りを見回すと何人か駄洒落を発言する人がいるのを発見してしまった。まさに類は友を呼ぶというとおり交流も出来るようになってきたので、いっそのことサークルにして立ち上げようと思い「駄洒落研究会」を発足してしまった。口コミで各サークルから駄洒落のエキスパートが男女7名集結する事となった。早速会合と発足記念パーティということで、新宿住友ビルにある「ACBパーク」で開くこととなった。ここは、夜景を眺めることが出来、テーブルにキャンドル1本だけが置かれているとてもロマンチックなムードのある店。当然客はラブラブオーラを発しているカップルだらけ。そんなオーラをものともせず、我々7名はズカズカと店に乗り込んでいったのだ。「ここの夜景はやけ(い)に綺麗だ」「ウイスキー、大好きー、チャイコフスキー」「ビール、ここは超高層ビール」などなど。その後の会話は駄洒落に限らず下ネタ系でもりあがる始末。きっと周りの客には迷惑をかけてしまったことだろう。しかし、その後「駄洒落研究会」は、たった一回の会合で消滅してしまった。理由は未だに不明である。卒業後、みんなばらばらになってしまったが、それぞれの地で駄洒落を言い続けて頑張って欲しいと思う今日この頃である。